父親の社畜化が「安全基地」を崩壊させる

■前回は、時間的な制約によって親が子どもを「受容」できないケースについて解説したが、今回は、父親不在により母親の「心のコップ」がいっぱいになってしまったために子どもを「受容」できなくなるケースについて解説する。(もちろん、父親と母親の立場が逆の場合も基本的には同じである)

まずは、宮本政於の著書「在日日本人」に掲載されているケースを紹介する。少し長いが非常に興味深いのでがんばって読んでほしい。

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 第四章●子どもが犠牲になる「粗大ゴミ」志向 (193p)

 父親不在は家庭崩壊の要因
 まず、子どもの心が病み始めた

家庭内の心理構造はモビールのようにデリケートなバランスの上に成り立っている。だから構成員の一人が精神的なバランスを崩すと、その影響は全員に及ぶ。

家族の主軸となっている男性の精神的なエネルギーが、組織に振り回され、「我慢、我慢」の繰り返しとなると、本来、家庭内で使われるべきエネルギーは弱まってしまう。その結果、家族の間にある心の均衡が崩れてしまう。(中略)

バランスが崩れればそのしわ寄せは、家庭内で力が一番弱い人間のところに行く。これは家族の精神分析から導き出された、原則である。

N夫人は三十一歳の女性。四歳になる子どものりえちゃんが、幼稚園で集中力が散漫で外ばかり見ていると保母さんから注意を受け、私のクリニックを訪れた。

心理テスト、遊戯面接(おもちゃとか絵を描いたりして、治療者が子どもと一緒に時間を過ごす。その中で相手の心の動きを探る方法を言う)などにより、りえちゃんの心の動きを調べてみると、表情に乏しく、子ども独特の自由奔放さが見られない。診断は幼児期の鬱病であった。

通常、幼児が鬱の症状を見せる場合、九九パーセント家庭に原因があると言ってよい。(中略)

あまりオフィスに来ることには乗り気でなかったお父さん。子どもの治療には両親の協力が不可欠であることを説明し、「時間を見つけるのが大変なんです」としぶしぶやってくる。私のところを訪れるや開口一番に、

「家内も私も忙しいので、できれば先生に娘をお任せしたい。駄目でしょうか」
と言ってくる。そこで、

「心も体と同じように成長を遂げます。当然病気にもなります。ところが、心の病気、とくに子どもの心が病気になった場合、必ずと言ってよいほど両親にその原因があります。ですから、ご両親が治療に協力しないのならば私はりえちゃんの治療は行いません。」

と、治療の拒否権をちらつかせる。お父さんは、そこまで言うのならば、と思ったのだろう。家族そろって二時間の面接に応じてくれた。さて三人そろってみると、まず印象的なのはりえちゃんがいつもお父さんから離れようとしない。普通この年齢ならお母さんになついていて当然である。ところが、お母さんのそばに寄ろうともしない。

最初にりえちゃんとお母さんと一緒に会ったとき、「お母さんに何か問題がありそうだ」という直感があったのだが、りえちゃんの対応を見ていて、その疑念がなおさら高まった。

そこで、お母さんにアメリカ生活はどうですか、と水を向けると、「アメリカで生活を送ろうなどと思ったことはありませんでした。主人の仕事の都合で来ただけで、毎日の生活がつまらないのです」とぽつりと言う。

能面のように表情に乏しいお母さん。「英会話はどうなんですか」と聞いてみると、横からご主人が、「家内の会話は結構上手なほうです」と黙っている奥さん代わりに返事をしてくる。

それでは、友人でも作ってみたらどうかと、二、三サークルを紹介してみたのだが、N夫人は、「私の英会話の能力では恥ずかしくて駄目です。せっかくですが」と断ってくる。

「家内は昔から完璧主義なんですよ。もう少し融通が利いてもいいように思うのですが」とお父さん。だが、私の目から見ると、どう考えてもあまりに自分を閉ざしている。

外国に来たことにより、母親がかなりストレスを受けているな、と判断し食欲とか睡眠について聞いてみると、「この三ヶ月ぐらいは食欲がありません。だから体重も8キロぐらい減ってしまいました。夜は3時ぐらいになると眠れるのですが、娘と主人の朝ごはんを作らなければいけないので、毎日3時間ぐらいしか寝ていません」との返事が返ってくる。

 潔癖性から潔癖症へ
精神分析をしている場合、患者の対応の一つひとつが分析対象となる。返事のタイミングもその一つである。このときも一分ぐらいの遅れがあった。またN夫人のほうから喋ろうとはしない。私が質問をしてそれにやっと答える。そんな調子が続いている。これは典型的な鬱の症状なのだ。

さて、ご主人はというと、奥さんが鬱状態になっていることにまったく気づいていない。だからかもしれないが、彼女の話にも他人事のように、

「そんなに睡眠時間が少なくて、よく体が保っているな」

と驚きの声を上げたりする。いろいろと話を聞いているうちにわかったのは、ご主人が家族の状況を把握していないことだった。そこで、

「どれほどの時間、ご主人は家で過ごすのですか」と聞いてみると、

「なにしろ仕事が忙しく、帰宅時間は十二時を回ることが多いのです。それで妻の睡眠を邪魔してはいけない、そう思って寝室を別にしているぐらいです」との返事である。

お父さんに家庭内のことを聞いている間、お母さんはというと、うつむいて黙っている。

どうやら母親がカルチャーショックによる鬱病になり、その余波を子どもがもろに受けている。そのような状況がおぼろげながら浮かんでくる。

そんな中、お父さんがちょっと気になる事を言った。

「近ごろ家内が、手が荒れて困るというのです」

手を頻繁に洗うのは、ストレスが高じたための症状でもある。そこをチェックするため、「どうして手が荒れるのですか」と聞いてみると、

「子どもの世話をしていると手が汚れるからだと私には説明してくれています。」
と、またまたご主人が代わりに答える。

「できれば、奥さんに答えていただきたいのですが、毎日何回ぐらい手を洗うのですか」
とたずねると、しばらくの沈黙のあと、
「少なくとも二十回くらいです」と答える。ご主人は、
「家内は昔から潔癖性なんです。日本にいるときも掃除が大好きで、きれい好きだとの評判を取っていました。でもこのごろとくにうるさくなっているようです。」
と教えてくれる。

ここまで聞いたところで、「これはストレスによる不安がかなりある。そしてアメリカでの生活が、彼女の性癖である潔癖性を増幅している」そう判断した。

潔癖性の人がストレス過多の状態だとか、鬱状態に陥ると、潔癖性はなおさら進行する。そこで、いったいりえちゃんがどのような生活を送っているのか家庭訪問を試みた。

訪ねてみて驚いたのだが、塵一つ落ちてなく、整理整頓は行き届きすぎではないかと思うほどきれいというか無機質な部屋に通された。まるでショールームに入り込んだ雰囲気なのである。人が住んでいるという感じが全くない。

大人であってもそのような環境で生活していると、息が詰まるという人だっているだろう。動き回るのが天性の子どもにとっては、もう窒息状態としか言えない環境なのだ。

面接を何度か繰り返した結果、自分の意思に反してアメリカに連れてこられた、そんな意識がN夫人の中に強くある事がわかった。

また、ご主人に対する怒りも、相当たまっているのが感じ取れる。ところが、家庭の事を色々聞いても、「べつに大したことはありません」という木で鼻をくくったような対応ばかりなのだ。

自分からは悩みの具体的な内容については一切触れようとしない。それでは自分の思いをいえる唯一人の人であるご主人、少なくともアメリカの家族の夫婦関係ではそうなのだが、この夫に相談を持ちかけているかというと、なにも話していない。当然不満とか不安はうっ積する。しかし発散する先がない。これではうつ状態は深まるばかりである。

これまでの話を総合してみると、N夫人は以前から、不満などの気持ちのうっぷん晴らしの手段として、整理整頓とか塵一つない掃除をしていたらしい。ところがアメリカに来てからは、そんな日常生活に結びついていたストレス解消法では、ストレスの量が多くなり対処しきれなくなってしまったのだ。

おかげで、無機質な家となってしまったのだが、これも爆発寸前の感情を抑えに抑えているという、心の反映でもあったのだ。ストレスがうっ積すると、潔癖"性"も潔癖"症"の字に入れ替わり、心の病気となってしまうのだ。

なにしろこのお母さん、子ども部屋まで整然としていることを要求している。子ども部屋とは名ばかりの、自分の部屋にいても大人と同じような行動を要求する。おかげで天真爛漫に遊び回るスペースが無い。幼稚園から帰ると四六時中「気をつけ」の姿勢をとらされているようなもので、子どもらしさがまったくだせないのだ。

りえちゃんとお母さんの両者からの話をもとに、家庭内の状況を再現してみると、母親が鬱状態ということもあり、りえちゃんが甘えようとしても、一向に取り合ってもらえない。そばによっても「うるさいわね」の一言で片付けられてしまう。また、りえちゃんがうっかり部屋を汚そうものなら、お尻が真っ赤になるまで叩かれているようなのだ。

可哀想にりえちゃんは母親恐怖症になっていた。子どもにとって、母親とは一番甘えることができる存在である。ところが、甘えられるはずの母親に甘えることができない。しかも父親は不在ときている。

頼る存在が無くなった子どもは、どうしてよいのかわからないという絶望状態に陥ってしまっていたのである。

 母親恐怖症を作り上げた仕事第一の発想 (202p)
子どもは幼ければ幼いほど、自分を中心とした視点で自分の周りを見る。母親の自分をかまってくれないその原因が、母親自身にあるとは、子どもの心の理解の範疇を超えてしまうのだ。

だから、本当はその子どもにまったく関係ないできごとでも、すべて自分になんらかの関係があると思い込む。小学生、中学生と年をとるにつれて周囲の状況を客観的に把握できるようになるとともに、こうした見方は薄れていく。

つまり、りえちゃんの場合、お母さんが自分の要求に応じてくれないのは「どこか自分に悪いところがある。だから好きになってもらえないのだ」と思い込んでしまっていたのだ。

このような状況に置かれた子どもは、多くの場合、より強く母親の注意を引くような行動に出る。甘えようとする度合いが強くなってみたり、場合によっては母親が怒るようなことをして気を引こうとする。

しかし気持ちが落ち込んでしまっている母親はこのような子どものしぐさを、うっとおしいと思うだけなのである。自分の身の回りのことで精一杯で、子供のことなどにとてもに気が回らない、それがN夫人の現実なのである。

まとわりついた子どもに「うるさい」と言う対応は、「あなたのことにかまっている余裕が無いのよ」と言っているのである。だが、子どもはそんなことを理解する能力は持ち合わせていない。

大人は孤独に耐えられる能力がある。ところが、四歳の子どもは孤独に耐えることができない。なんとか信頼関係を保っているお父さんは、夜中にしか帰ってこない。となると、心を許せるのは、幼稚園で顔を合わせる子ども達だけだ。家に帰れば、お母さんは存在していないも同然で、実質的には独りぼっちである。

このお母さんがりえちゃんに与えるものといえば恐怖感である。これでは絶望的になってしまって当たり前である。その結果、誰とも話などしたくなくなり、焦点も定まらない目で一人遠くを眺めるようになってしまったのだ。

このような幼児期に受けた心の傷は性格形成の核となり、大人になってからも対人関係とか職業選択などいろいろな分野に多くの影響を及ぼすようになる。だからりえちゃんの症状を改善することはとても大切だし、そのためにはお母さんの鬱状態を改善することが不可欠だ。そう結論した。

ところがお母さんは、
「私に精神的な問題はありません」と言う。そこでとりあえず、クリニックに来たとき、りえちゃんの毎日がどうなのか聞く時間が必要だから、ということで治療の接点を保つことにした。

お母さんは自分の心に触れられるのをとても嫌った。だから私がりえちゃん以外のことを聞くと、「そんな約束ではなかった」と言ってくる。手を替え品を替え、いろいろと彼女の心の負担を指摘してみても、否定ばかりしてかたくなに治療を受けることを拒み続ける。あげくのはてには怒り出す。

このような場合、ご主人の協力が必要となる。ところが、彼がなかなか捕まらない。奥さんの鬱病についての説明をしようと思っても、仕事が忙しいことを理由になかなかオフィスに来てくれないからだ。

N氏は、奥さんはアメリカ生活を楽しんでいるものだと信じていたし、子どものことについても、「どっちみちたいしたことではないだろう。でもここはアメリカだし幼稚園がうるさく言うから、一応言われた通りに医師の元を訪ねておけばよいだろう」、そんな調子だったのだ。

なんて楽観的なんだろう、そう初めは思っていた。だが次第に、N氏が仕事のためには若干家族が犠牲になっても仕方が無い、と考えているからこそ、このような対応となっていることがわかってきた。

 可愛いお嬢さんの将来に
アメリカでは、心の問題が起きると家族を呼んで家庭の精神病理の診断をする。そのとき、家族一人ひとりがどれだけ病を持った人に協力的かが今後の判定に際しての重要な情報となる。

仕事が忙しいことを理由に、家族そろってのミーティングを欠席するようなことがあると、家庭内に問題があると位置づけられ、治療が必要と診断されてしまうこともある。

中にはこれとはまったく逆に、家族の一人が病気になった結果、いてもたってもいられず四六時中患者と一緒にいたいと希望する人もいた。ところがこのような人は、人間関係で適正な距離感を保てない、と問題視されてしまうのである。

要するに、アメリカ社会では、一緒に仕事をしている人間でも仕事に対してでも、ある一定の距離感を置いて対応することが要求されるのだ。自分を忘れて、一つのことにのめり込むのは病気であるとの認識なのである。

会社のためにと"滅私奉公"の論理にのめり込んでいる人に、
「家族の健康を優先させるべきですよ」と言っても方向転換は難しい。そこでどうしたら、このお父さんを治療に引き込むことができるかを考えた。

「可愛いお嬢さんの将来に関わる問題です。信じる人が身近にいないとか自分は誰からも愛してもらっていない、そんな心のまま成長すると新興宗教に溺れたり、暴走族の仲間入りしたりすることもありますよ」と、想定される一番ネガティブな場合を引き合いに出し、娘と父親のつながりにウエートを置いて協力を求めたのがその戦術の一つであった。

また、日本人がアメリカ人と比べ、医者に盲目的に従う性癖を利用して、「今りえちゃんの治療を開始しなければ、精神的な傷は決して癒されません。お父さんとして、それでもいいのですか」と、ちょっと強引だと思うくらいにリーダーシップを発揮してみた。

また、アメリカ人を対象に患者を診察している場合、叱るという行為はありえないのだが、Nさんの場合、治療に参画させる手法の一つとして、叱るという行為も選んだ。これらの戦術が功を奏したのだろう。りえちゃんの治療に関してだけは、とても協力的になった。おかげで、 

「治療は子どこだけでなく、お前も必要なんだ」
と奥さんを説得することになり、また定期的ではなかったが、土曜日の治療には、奥さんとりえちゃんに付き添ってクリニックを訪れてくれることにもなった。だからと言ってN夫人が閉ざされた心を開いたかといえば、そうではなく、夫人の治療にはそれでも時間がかかった。

 まず、子どものほうが心の窓を開いた
精神的な問題が周りから見て明らかなのにもかかわらず、それを否定する患者ぐらい治療を行う側として大変なことはない。専門用語で病識が無いと言う。これは一種の現実の否定でもある。もちろん否定する理由がある。

それは不愉快な現実から目を逸らすことで、なんとか心の均衡を保とうとしているのである。ところがそこで現実を肯定するということは、見たくない、接したくない感情に触れることにもなる。だから無理やり現実を直視させるようなことをすると、心のバランスが一挙に崩れてしまう。

このお母さんのケースも同様で、嫌だ嫌だと思いながらご主人の海外赴任にくっついてきたおかげでひび割れてしまった精神状態は、いったん自分の現実を認めてしまうと、心は粉々に砕けてしまうだろう、そう信じ込んでいたのだ。

ところがうっ積したストレスが精神面にダメージを与えている場合、その現実を否定すればするほど、ダメージは大きくなる。これもまた、精神分析の原則なのである。こうした場合怖いと思っていても、現実の世界に飛び込んでしまうことが治療への道を開くことになる。

こうやって言葉で説明すれば理解は簡単だ。でも現実に患者の立場に立つと、嫌なものは避けたいと思うのは人情である。だからお母さんの抵抗も理解はできる。

しかし、子どもはその点素直である。だからりえちゃんのほうがはるかに早く 治療環境になじんだ。こうしたりえちゃんの対応を見ていると、家庭内での調和を乱した原因が仕事第一の価値観であることが明らかになる。

子どもとしての、のびのびとした生活ができず、いつもひとりぼっちというひどい環境に置かれていたこともあり、りえちゃんにとって、治療に来ることは楽しみとなった。治療が進むにつれて、子どもはしだいに心の窓を開けてくる。

母親は子どもを叱ったとか殴ったなどと一言も言わなかったが、子どものほうから私に、ぶたれて痛いのだと言ってくる。子どもの母親に対する恐怖と怒りは相当なものだった。

幼児の精神分析治療にはいろいろなテクニックがある。りえちゃんの場合、人形などのおもちゃを用いて行う、遊びを中心とした中でうっ積した感情を表に出す治療を行った。

りえちゃんに人形を母親だと信じ込ませると、人形に向かって「しんじゃえ」と言う。しかし同時に「お母さん、大好き」と言う。

りえちゃんの心の動きは、四歳の子どもとは思えないほど複雑であった。りえちゃんの面倒を見てくれるのは母親だけである。当たり前の話なのだが、りえちゃんは人並みの依存心がある。

ところが自分を保護してくれる母親に対し「死んでしまえ、いなくなってしまえ」と思うようになっている。このような葛藤からくるストレスは大人であっても相当である。

大人の患者の場合、よほどの信頼関係が築かれていないと、医師にこのような内容の話をしてこない。これはまだ幼い心の、四歳の子どもだからこそ素直に話をしてきたということもあるが、そもそも他人を信頼するのが難しいりえちゃんである。

その子がほんの短期化の間に母親に対する葛藤を私に話し出した。これは、りえちゃんの心の奥にあるお母さんに対する憎しみの度合いの強さを物語っていたのだし、重度の心の問題を抱えている証明でもあったのだ。

四歳の子どもが「そばにいてほしい」と「いなくなってほしい」の相反した感情にはさまれて生活を送っている。この二つの感情が心に与えるプレッシャーは相当なものである。おかげでこれが原因で、幼稚園で先生とか友達が存在していないかのように、窓からうつろな目で外ばかり見ている態度となってしまったのだ。

 母と子の絆は回復したが、父親不在は変わらない
治療のポイントは、りえちゃんの心にうっ積した母親に対する怒りを放出させることにより、ほとんど消えかかっていたお母さんとの絆を再現させることだった。

しかし、それにはお母さんが自分のストレスに取り組み、心に余裕を持てるようにならなければならない。そこで、お母さんに対する治療の第一歩として、精神的に問題があっても、おかしくないし、恥ではないのだと、メンタルヘルスの基本教育から始めた。この教育をほどこすことにより、彼女は自分が受けていたストレスを素直に認めることができるようになった。こうなればしめたもの、りえちゃんとお母さんの絆は急速に回復していった。

この間、お父さんはどうだったかというと、アメリカに来ているにもかかわらず、日本と同様、残業、残業と仕事に追い回され、治療への協力はほとんど期待できなかった。しかも自分の妻の精神衛生よりも仕事の方が大切だ、との態度は一向に直らない。

夫婦そろって心身ともに健康である事は、仕事に専念するよりもはるかに大切なことである、という考え方が浸透しているアメリカ社会の中で精神分析の教育を受けた私は、N氏の態度が不思議だったし不満だった。一時は夫婦の関係が冷え込んでいるのだろうと考えたくらいだ。

彼のスケジュールはどうなっていたかというと、なにしろ出張が多い。彼のスケジュールに治療を合わせていたら二、三週間に一度来ることができるかできないかで、それも不規則となってしまう。出張に行っていないときは、オフィスでの事務処理に忙殺されているという。

そんなわけで、やっと時間を調整し来院ということになっても、当日、急用が入って駄目です、との断りのメッセージが留守番電話に入っていたことが多かった。だがこうした傾向も、私があえて強引な治療方針をとったことにより多少は改善されることとなった。

アメリカで生活をしていると、家庭を中心として社会が動いていることがいちばん自然なのである。だから家庭の中の一人が精神的な問題を抱えていると、家族全員の問題として考えるのが普通だ。ところがN氏も含んだ日本人家族の場合、こうした見方は少数派であった。どちらかといえば、精神的な問題から目を反らそうと思い、家族がストレスで悩んでいても見て見ぬふりが結構多かった。

N氏の家族が置かれた父親不在の環境が、母親が発病した最大の引き金だと言い切ることができる。もちろんりえちゃんが受けた精神的な傷は言うまでもない。

このお母さんはとても寂しがり屋の性格だ。そのような人が外国に行けば、その度合いがより強まるのは、精神分析の医者でなくとも理解できるだろう。アメリカ人たちと同じように、ご主人が五時過ぎには帰宅して家族団らんを楽しみ、週末にはピクニックやドライブなどの生活ができ、それに加え長期休暇をとることができるのであれば、奥さんの発病は防げたと言い切れる。

また、奥さんの精神状態が安定していれば、子どもも、その余波を受けることはなくすくすくと育ったのに違いない。だが企業戦士の家族に生まれたおかげで、りえちゃんは可哀想にもその影響をもろに受けてしまったのである。

さて、お父さんがもっと治療に積極的に参加してくれたらどうだっただろう。きっと治療効果はもっと上がったはずである。だがそれを日本株式会社の忠実な社員に求めるのは酷なのだろうか。駐在員の家族は、アメリカで置き去りにされていたのだ。

 "父親不在"は日本人社会の問題点
りえちゃんを治療しながら、日本人社会はどうしてこのような父親不在の家庭生活なんだろう、どうして夫婦の会話がほとんど存在しないのだろう、とほかのアメリカ人患者との違いにびっくりした。そもそも、アメリカでNさんたちのような夫婦関係だとわかったら、とたんに問題だと認識されて夫婦が治療を必要としますと言われてしまう。

また、日本のサラリーマン社会独特の生活のリズムが子どもの心の成長に、計り知れない悪影響を与え、その結果、最大の犠牲者になっているということにも気づいた。

日本人の症例を見ていると、いろいろと日本社会の問題点を見ることができる。その一つに、赴任という人生の大きな節目に個人の意向をはさむことができないという問題をあげることができる。

このN家も初めからアメリカに行くことを望んでいなかった。ところが家族の意向など、組織はまったく念頭に置いていないのだ。こうした症例を見ていると、日本の企業体質は、社員の人間性についてどのように思っているのか、大きな疑問を感じさせてくれたのだ。

住む環境が変わることは、本人のみならず家族全員の精神面に大きな影響を与える。だからこそ、転勤は家族とその社員の同意があって初めて可能となるべきなのだ。第一章のA氏のケースでも、単身赴任である事が発病の大きな要因だった。

これが軍隊であれば多少事情が異なることは認めよう。でも民間人を相手にした場合、本人の意思とは関係なしに転勤を命令するなどあってはならないのだ。人間性など社会の発展の前には二の次だ、そんな発想が根底にあるからこそ、家族の意向は無視される。

社員とその家族が、「仕方がない」とか「嫌々ながら」命令に従った場合、家族が被るネガティブな影響は大きい。前にも述べたが、家族療法とか集団療法を行うときの基礎知識として習うものの一つに、マイナスのしわ寄せは集団とか家族の中で力が一番弱い人間のところに行くとの法則がある。通常、子どもがその最大の犠牲者だ。しかもこの犠牲の代償は子ども達の人格形成に大きな影響を及ぼす。

当時私は自分が帰国して厚生官僚になるなどとは思ってもみなかったので、ただただ非人間的な家庭生活を容認する日本企業の戦士達を漠然と「可哀想に・・・・・・・」とよそ事のように思っていた。それがひょんなことで帰国することとなり日本で役所という大組織に身を置く生活が始まったのだが、改めて人間性を無視したその組織論理に愕然とした。(中略)

 りえちゃんもお母さんも直って帰国したのだが・・・・・・
さて、組織の利益のためには個人の生活を犠牲にする。そのような価値観の犠牲になってしまったりえちゃんのその後はどうなったのだろうか。まず、りえちゃんもお母さんも見違えるように元気になったことを伝えておきたい。

お母さんははじめは精神分析への抵抗をかなり示した。だが、発症年齢が三十歳を過ぎていたということもあり、いざ治療の流れに乗ってしまえば、経過はお母さんの方がよかった。

これは精神科の病気の場合、発症年齢が若いほど病態は重く、長期間にわたっていろいろな症状に悩まされるという傾向があるからだ。

りえちゃんが幼稚園の友達と遊べるようになったのは治療が始まって一年以上経ってからであったし、お母さんに対する恐怖感は二年経っても完全には解消しなかった。いったん深層心理に病気が巣くってしまうと正常なレベルに戻すまでにはかなりの
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このケースでは、りえちゃんは母親からディスカウントを受け続ける一方で、肯定的ストロークを受け取っていなかったことがわかる。

その結果、自己評価が著しく低下し、同時に「心のコップ」がパンクしてうつ病にかかってしまったのだ。

ではなぜ母親はこういう行動をとったのかというと、母親のほうもカルチャーショックと家事育児を一手に引き受けるストレスのなかで「心のコップ」がいっぱいになってしまったからである。

しかも悪いことに、妻の「心のコップ」を空にしてあげられる夫は社畜化してしまい家庭不在である。これでは妻・・・母親の「心のコップ」はパンクしてしまい、精神障害などを発症する。

そうなれば、子どもを「受容」してやり「心のコップ」を空にしてやる余裕などあるはずもない。そして必然的に、時間的な制約により父親が子どもを「受容」してやるわけにもいかないのである。

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また、今回から登場する「社畜」という言葉の意味は、いわゆる「ワーカホリック」に近いが、ワーカホリックがたんなる仕事依存症であるのに対して、筆者が取り上げる問題はその上、企業からの圧力やマインドコントロール、市場の仕組みなどにより、労働者も利害関係上そこから抜け出せなくなり、本人も自分の行為が社会正義であると信じている重篤な状態を指すので、ここでは批判の印象を強めるために「社畜」のほうを使用する。

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