ご褒美の持つ危険性

■条件付きの肯定的ストロークについてはすでに解説したが、今回はその使用上の注意点について解説する。

子どもの行動を親の希望する方向に操作するために、しばしば親は子どもの行動に対してご褒美(賞)を与えたりほめたりするが、その弊害について、「親業・ゴードン博士 自立心を育てるしつけ」より引用しよう。

―第2章 これまでの賞罰の考え方
 賞に効き目を持たせるには
 (43p)

賞に効き目を持たせるためには、次の三条件が常に満たされていなければならない。

1 子供が大人に服従する(大人が求めるように行動する)ほどに強く、何かを欲しがっていなければならない。あるいは必要としていなければならない。

2 大人が提供する賞が、子どもにとって何らかの欲求を満足され得ると、子どもが思えるものでなければならない。

3 その賞を手に入れるために、子どもが親に依存していなければならない(子どもが自分で、その欲求を満たす能力がない)。

―コントロールは外からか、内からか (49p)

おとなと子どもの関係には、二つのコントロールの型がある。外からのコントロールか内からのコントロールか、おとなからのしつけか子どもの自己規律か、である。これについて、もう少しくわしく見てみたい。

おとなが賞で管理、支配するのは、子どもを外からのコントロールをするために、外的な賞を使っている、と言える。しかし、子どもが自分で心地よい結果を見つける(内的な賞と呼ばれる)ように、子どもの能力を伸ばそうとするのは、子どもの内からのコントロールを助けることになる。

―第3章 なぜ賞はうまくいかないのか
 賞で子どもは動かせない (58p)

賞で子どもをコントロールしようとすると、いくつかのきわめて難しい問題にぶつかる。ほとんどのおとなは、そこで賞をあきらめて、罰を使いはじめる。賞を使うことには、次のような問題が含まれている。

[賞が価値を失うとき]

「いい子にしていたら、サンタさんがプレゼントをいっぱい、もってきてくれるよ」

クリスマスの何ヶ月も前から、こんなふうに親が約束する。身におぼえのある読者が多いことだろう。しかし、何ヶ月も続けていい子でいるなんて、子どもにとっては不可能に近いことだ。

遠い将来でないと賞が手に入らないのなら、賞の力は小さいと言える。

私が一〇代のはじめのころ、父が私に約束したことがある。「二一歳になるまでタバコを吸わないでいれば、おまえに金時計をやろう」

しかしこれでは、私がタバコをはじめるのを防げなかった。当時の私には、金時計は賞としての価値がほとんど感じられなかった。しかも、ずっと待たなければならないのだから、なおさらだった。

覚えておこう
 賞をもらえるのが、あまりにも先のことだと思えると、その賞の力は弱くなるものだ。


[困った行動に賞を与えると]

小学生のころの私は、クラスのひょうきん者だった。私のおどけた行動に、級友は注目し、おもしろがった。教師にとっては困った行動だったが、級友の反応は私にとって賞だった。教師たちは手をかえ品をかえ、さまざまな賞のシステムを考え、私をよい子にしようとしたが、ダメだった。私はおどけた行動をやめるどころか、高校を卒業するまで毎年、エスカレートさせていったのだった。

覚えておこう
 子どもの困った行動に、他人が賞を与えるのを、おとなは防げない。


[子どもが自分で賞を手に入れられるとき]

満腹している犬に、骨を賞に与えながらおすわりを教える、というのは無理である。同じように、子どもが自分で賞を手に入れられるときは、賞は効きめがない。

子どもは成長するにしたがって、おとなへの依存度が低くなる。自分の欲求を、自分で満たす方法を見つけていく。

「今週いっぱい、家の分担の仕事を毎日きちんとしたら、土曜は映画に連れていってあげるよ」

このような賞に効きめがあるのは、子どもが小さいうちだ。自分でカネを手に入れられず、自転車に乗れないから映画館まで行けない。子どもが成長すれば、カネや乗り物でおとなに頼る必要はなくなる。好きなだけ映画を見られるようになる。私自身は、九歳になる前から、芝生刈りやイチゴ摘みの手伝いをして、週に数ドルは手にしていた。友だちと自転車で、近所の映画館へ通ったものだ。

覚えておこう
 おとなが思うように賞を使うためには、子どもが自分で賞を手に入れられるようではいけない。子どもがおとなに依存し、いつも欲求を満たされずにいなければならない。


[賞を手に入れるのが難しすぎるように見えるとき]

賞は約束されているけれど、子どもにとって手が届きそうになく思える場合も、賞の効き目がないことが多い。たとえば、学校の成績表がそうだ。

偏差値にそって成績をつければ、生徒の半分は平均以下の成績になる。Aをとるのは難しく、賞としての価値はきわめて小さくなってしまう。そこでほとんどの生徒は、Aをとるのをあきらめてしまう。なぜなら、頭のいいトップの生徒に、Aがまず与えられてしまう。自分のところまでAがまわることはない、と知っているからだ。

覚えておこう
 子どもの目から見て、賞は手の届く範囲にある、と思えなければならない。


[望ましい行動が、賞で報われなかったとき]

専門家によれば、子どもが望ましい行動をした場合には、必ず賞を与えなければならない。特に、子どもが賞によって行動を変えようと、努力し始めたばかりのころは、絶対に必要だという。

ところが親は、子どもの行動のほとんどを、見ていない。親は忙しいし、子どもが家にいないことも多い。また教師は教室で、活発な生徒をいっぱいに抱えている。そんな中で、生徒一人一人の望ましい行動に気がつけ、というのは無理な話といえる。だから、子どもが望ましい行動をするたびに、必ず賞を与えるというのは、おとなにとって不可能に近いのだ。

また、賞を与える基準を、いつも維持できることも、まずない。子どもがこんなふうに、文句を言うのを聞いたことはないだろうか。

「買い物袋を持ってくれてありがとうって、ジミーには言ったよね。ぼくだって、きのうは持ってあげたのに、ママは気にもしなかったじゃないか」

覚えておこう
 望ましい行動に対して賞が与えられないと、その行動が強化されてしっかり身につくのに、よけいな時間がかかってしまう。


[子どもが賞だけを目あてにするとき]

「ぼくの絵、好き?」
「先生、私は英語のスペリングが、よくできてるでしょう?」
「きょう、ぼく、いい子だった?」
「私の部屋が、きょうずっときれいだって、知ってた?」
「野菜を食べたから、アイスクリームはスプーンに二杯、食べてもいいでしょ?」

このように言うとき、子どもはおとなに対して、「よい行動にはいつも、何か見返りがあっていいはずだ」と思っている。ほめ言葉などの賞を、期待している。そう期待していいと、教えられていることを、親に伝えているのだ。

幼い子どもが、積み木やブロックで家を作って遊ぶ。子どもは作ること自体がおもしろい。自分でできるということを自ら評価し、自分で賞を与える(内的な賞)―そんな例を、私はよく見てきた。ところがおとなによる賞は、子どもにとっては外からくる評価(外在的な賞)である。

外的な賞が子どもにどう影響するかは、きわめてわかりやすい。賞を頻繁にもらう子どもは、親が喜ぶと思えることだけを選んでするようになる。親が喜びそうにないことは、しないようになる。親にとって、これは望ましいこと、と思われるかもしれない。しかしこういう子どもは、進歩性、創造性、自律性が育ちにくいのだ。これはよく知られている。新しいことをするよりも、ほかに同調することを学ぶ。新しいことに挑戦するよりも、ほめられるとわかっているやり方を選ぶ。

つまり、こういうことになる。賞をたくさん与えることには、賞がなければ自分の行動やその結果に喜びを得られない、そんな子どもを育てる危険があるのだ。

そういう子どもは、かって表彰されなければ、スポーツは楽しめない。見返りがない限りは、他人に親切にはしたくない。いい成績が得られなければ、学習の喜びが感じられない(点取り虫)。

外的な賞は、ただ効果的でないだけでなく、子どもの自発的なやる気(内的動機づけ)を崩してしまうのだ。能力や自尊心にとってマイナスなのである。

覚えておこう
 賞を得ることはクセになりやすく、子どもの自発的なやる気を崩していく。


[賞を与えられないと罰に感じられる場合]

たとえば妻が、新しい帽子を買って、夫に言った。

「新しい帽子を買ったのに、あなたはちっともほめてくれないんですもの。きっとこの帽子が嫌いなのね」

こんな話はよくある。いつもほめられて、それに慣れているから、ほめられないと不安になる。ほめられるのはふつうのことで、ほめられないのは良くないことをしらからだ、と感じてしまう。つまり罰せられたと感じるのだ。ほめ言葉などで子どもをコントロールする場合も、同じことが言える。

学校では、少数の成績のいい生徒だけに、賞が与えられることがある。ほかの生徒は、ほめ言葉や賞がもらえない。それを不愉快に感じ、さらに罰を与えられたと感じることも多い。すると、一所懸命に勉強しようという気がなくなる。

時間がたつと賞の価値が弱まる。これは実験によっても確認されている。家庭でほめ言葉を使うほど、その気にさせる効き目が弱くなる。一定の基準のほめ言葉に慣れてしまうと、それには注意を払わなくなるのだ。エリノア・マコビイとジョン・マーチンの『児童心理学ハンドブック』(一九八三年)などが、それを証明している。

覚えておこう
 賞を与えられないと、罰を与えられたと感じるかもしれない。賞をたくさん与えられるほど、その効果は低くなるだろう。


―ほめることについて深く考えてみる
[ほめ言葉には“隠れた議題”がひそむことが多い]
 (67p)

おとなが子どもにほめ言葉を使うとき、子どもをある特定の方向へ変えよう、というのが主な目的であることが多い。もっとよくやるように意欲をもたせる。この調子で良い成績を続けさせる―だれもが記憶にあることだろう。

そこで、ほめ言葉には、子どもを変えたいという目的があることになる。はっきり口にはされず、これは「隠れた議題」と呼ばれるものだ。はっきりと子どもに伝え、議題として話し合う、というものではまずない。たとえば父親が、一二歳の娘に言う。

「その洋服は、とても似合っていて、今夜はきれいだよ」
このとき父親の、口にしなかった隠れた議題は、次のようなことかもしれない。

「いつものジーンズじゃなくて、そういう洋服をもっと着ればいいのに」

おとながほめ言葉を使うのは、子どもをいい気持ちにさせるというおぼしめしからだけではない。おとなをいい気持ちにさせるように、子どもの行動を変えたい、という欲望もあるのだ。そして子どもには、このようなほめ言葉の裏が見える。おとなの隠れた議題に気がついてしまうのだ。

私の父は、私や弟によく言ったものだ。
「二人とも、きょうはきれいに庭を片づけたね」

しかしこのほめ言葉は、「ほめれば人は夢中で働く」という原理を使ったもので、何度も言われたから、私たちにはそのことがよくわかっていたものだ。

隠れた議題のあるほめ言葉は、子どもの目から見れば、完全に正直だとは思えない。子どもを操ろうとしている、コントロールが強い、と思われるのだ。

「いつもほめる親は、明らかに、子どもをさらに従わせるために、ほめ言葉を使っている。ほめ言葉が、本当に心から出ていない。子どもの行動が本当にほめるに値する以上の言葉になっている」(バートン、ディルマン、キャッテル、一九七四年)

[ほめ言葉が、子ども自身の評価と一致しない場合] (72p)

おとなのほめ言葉があたっていない、と否定する子どもは多い。これには驚かされる。子どもが本当と思えないのは、自分の自己評価とズレているからだ。例をあげよう。

母親 その砂のお城、すごいじゃない。
ジミー そんなに、すごくないよ。サリーのほうが、もっとすごいよ。

ほめ言葉が、「とにかく本当じゃない」というふうに伝わると、子どもはおとなを信用しなくなる。そうなる可能性が高くなる。そんなとき子どもは、次のように答える。

そんなによくないよ」
「ダメだよ」
「私は、きれいじゃない
「いい気持ちにさせようと思って、そう言うだけじゃないか」
お母さんが、そう思うだけだよ」
「ぼくこの絵、大っ嫌い
「本当はもっと、よくできるのに」

また、おとなが子どもを本当に理解していない、と子どもが感じる。これも重大なことである。おとながほめる前に、子どもが自分のやったことが進歩がないとすでに言っていれば、特にそう感じやすい。

子どもは自分では、うれしいどころかいやな気持ちでいる。ほめ言葉をかけられると、おとなは本当は理解していないと思い、それ以上は話したくなくなる。ほめ言葉がこの場合、親子のコミュニケーションを妨げてしまう。親は子どもに対して、役立つカウンセラーになれる絶好の機会を、逃すのだ。

[兄弟の競争意識を煽る] (75p)

同級生や兄弟のだれかがほめられた。でも自分はほめられなかった―子どものころ、こんな経験をして、どう感じただろうか? やきもち、反発、あるいは怒りすらを感じなかっただろうか? ほめられなかったり、承認されなかったりすると、実際には拒否されたのと同じように感じられることがある。

「ぼくよりジミーのほうが好きなんだ!」

おとながほめ言葉を乱発すると、子どもの間で競争が激しくなる。そんな家庭では、兄弟がライバルになる。自分を良く見せたくて、ウソをついてまで他の子どもを引きずりおろそうとすることもある。

[ほめると、意思決定能力が育ちにくい] (76p)

子どもは成長し、おとなになっていく。重要な人生の決定を、下さなければならなくなる。親のほめ言葉に強く依存すると、そんなとき、うまく意思決定できないことがある。一生の仕事を選ぶのに、親の望みに従って後悔したりするものだ。

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