司法の介入と学級制度の廃止

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内藤朝雄『いじめの構造』より

1−短期的なニつの政策

では、どのように教育制度を変えればよいのか
この章では、これまでの議論にもとづいて、どのように教育制度を変えたらよいかを提案する。現行の学校制度は、若い人たちに、密閉空間で一日中、ベタベタしながら共同生活をおくることを強いる。この学校共同体制度のもとで、人間の尊厳を踏みにじる群生秩序が蔓延する。聖なる教育の共同体を徹底的に強制する場としての学校は、群生秩序の培養を行う実験室のような生活環境になっている。

問題解決のためには、群生秩序をはびこらせる現行の教育制度を廃し、新しい制度を実施する必要がある。本章第3節では、これまで論じてきたことを用いて、この根本的な改革案を示す。この、制度・政策的マクロ環境を根本的に変革するプランは、実現するのに長い時間を要する中長期的なものになるだろう。旧制度から新制度への移行期に苦しむ人たちのことを考えれば、中長期的改革の効果があらわれるのを待つあいだに、パーフェクトではないが、現行の学校制度の大粋のなかで実行可能で、「はっきりと効く」短期的政策も同時並行的に行う必要がある。

以下では、まず即効的な短期的政策を述べ(第1節)、その後で、中長期的政策として、教育制度の根本的改革のヴィジョンを述べる(第2・3節)。

学校の〈聖域としての特権〉を廃して学級制度を廃止せよ

短期的政策は、次の二つを同時に実施するシンプルなものである。これは、学校制度の大枠を変えることなく、比較的容易に実行可能である。

1〈学校の法化〉
加害者が生徒である場合も教員である場合も等しく、暴力系のいじめに対しては学校内治外法権(聖域としての無法特権)を廃し、通常の市民社会と同じ基準で、法にゆだねる。そのうえで、加害者のメンバーシップを停止する。

2〈学級制度の廃止〉
コミュニケーション操作系のいじめに対しては学級制度を廃止する。

「解除キー」

加害者が生徒であれ教員であれ、暴力に対しては警察を呼ぶのがあたりまえの場所であれば、「これ以上やると警察だ」の一言で、(利害計算の値が変わって)暴力によるいじめは確実に止まる。学校や職場で、自分が大きな損失をこうむってまで特定の人をいじめ続けるといったことはほとんどなく、いじめは基本的に「やっても大丈夫」「やったほうがむしろ得だ」という利害構造に支えられて蔓延し、エスカレートしているからである。

第4章で述べた、利害と全能の接合から生じる心理−社会的な政治空間のうち、暴力を主要な媒体(メディア)とするタイプは、法をきちんと入れることによって一気に消滅させることができる。さらに法を導入することは、場の情報を切り替え、そのことによって現実感覚のモードを切り替える強力な作用をおよぼす。第2章では、場の情報が個をとびこえて内部に入り、そのことによって内的モードが切り替わる心理‐社仝的なメカニズムを論じた。人は、場の情報によって、いくつかの〈世界〉のスイッチが切り替わるような方式で、さまざまな現実感覚のモードを生きている。法は、その場その場の〈世界〉の切り替わりを引き起こす、強力な場の情報(「解除キー」)として働く。

たとえば、法執行機関(警察)が目の前に迫ってきたり、あるいは「警察を呼ぶ」「告訴する」「あなたの行為は、刑法OO条に触れている」といった法の言葉が発せられたりするだけで、それは、強力な場の情報(「解除キー」)になる。そして、人々の現実感覚は、聖なる集団生活のモードから、市民社会のモードヘと、瞬時に切り替わる。「キレ」たり大騒ぎしたりしながら、集団心理‐利害闘争にふけることが「生きることのすべて」となる教育の共同体では、何を言われようと残酷ないじめを繰り返すモンスターたちが、市民社会の論理に貫かれた「普通の場所」では、おとなしい小市民に変わる。ちょうど催眠術にかかった人が、ある「解除キー」となる言葉によって一気に醒めるように、法には、人を市民社会に連れ戻す「解除キー」としての働きがあるのだ。

学校に限らず、個を守るために法が入らず、仲間うちの脅しや暴力に対してなすすべがない「泣き寝入り」状態を日常的に体験させることは、市民的な現実感覚を破壊し、群生秩序を骨の髄まで習慣化する教育効果を有する。それに対して、仲間うちの勢力関係をとびこえて法によって加害者が処罰されるのを目撃する体験は、中間集団は強い者が弱い者を圧倒する力によって治められるという秩序学習をさせず、普遍的な正義が法によって守られていることを学習させる市民教育として効果がある。

ちなみに、このような観点から、万引きなどに対しても、法が作用する経験をさせることは有効である。学校に囲い込まれて「生徒らしい」生活をしていると、仲間うちの「ノリ」を超えた広い社会の普遍的な秩序が存在することを体感できなくなりがちである。

以上のように、暴力に対しては、利害と場の情報という両側面の効果により、法を入れる政策が絶大な効果をもたらす。

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森口朗『いじめの構造』より

第六章 規範の内面化と「いじめ免疫」

いじめが問題なのではない
現在の学校の異常性は、校内犯罪が堂々と行われ、それが「いじめ」の名の下に放置されていることです。恐喝、傷害、暴行、窃盗等々ありとあらゆる犯罪が、学校で起こったというだけでいじめとして処理されます。さすがに、児童・生徒が死んだ場合にはいじめでは済まされませんが、死に至らなかった犯罪のほとんどが「いじめ」の名の下に不問に付され、あるいは隠蔽されています。「いじめ」と総称されている問題の解決(対処)の第一は、この異常性を解消することです。そのためには、「いじめ」と「犯罪」を峻別しなければなりません。

何も、いじめが全て犯罪だ、などというつもりはありません。
「いじめは全て犯罪です。殴れば暴行罪、けがをさせれば傷害罪、嫌なことを無理やりさせれば強要罪、悪口を言えば名誉毀損罪か侮辱罪になります」
という人がいます。学問上は「犯罪構成要件に該当する、違法かつ有責な行為」が犯罪ですから、その主張は正しいかもしれません。でも、一般社会で事実上犯罪として扱われていない行為を学校の中でだけ刑法典どおり犯罪として扱え、というのは無理があります。私はそれよりも、次のようにした方が実際的だと思うのです。

1.一般社会で犯罪になる行為(恐喝・強制わいせつ・障害・暴行・窃盗・器物損壊等)は学校でも犯罪として扱い、教育機関としての処罰や更生は、司法機関と同時並行で行う。

2.刑法上の罪には記載されているが一般社会ではよほどのことがない限り犯罪にならない行為(名誉毀損、侮辱等)や、そもそも犯罪でない行為(仲間はずれ、集団での無視等)は学校の中で指導する。

いじめの対処方法を考察する場合、「暴力系」と「コミュニケーション系」に分けて「暴力系」には司法救済、「コミュニケーション系」は学校での指導とする論者が多いのですが、「校内犯罪」と「非犯罪いじめ」に分類した方が妥当です。なぜなら、インターネットで「○子は売春をしている」といった誹膀中傷を書いた場合や、「死ね」と書いたメールをしつこく出したような場合、加害者を一般社会の基準に合わせて逮捕することは可能かつ妥当だからです。

統計上のいじめと対策対象としてのいじめを峻別せよ

次頁の図表11を見てください。これは、現在「いじめ」と総称されている事象の、私が適切だと思う対処方法を一覧にしたものです。錯綜しているいじめ議論の半分以上はこの表によって解決できるのではないかと自負しています。



ここでは、統計上のいじめと対策対象としてのいじめを分けたのが大きなポイントです。第四章で説明したように、従来のいじめ対策は、「いじめであるかないかを決定するのは学校である」という前提で構築されていました。そのために、文部科学省はいじめを定義していたのです。まず、子どもや親から「いじめられた」という訴えが来る。学校は文部科学省のいじめの定義に従って、クラスで起きていることがいじめにあたるかどうかを判定する。いじめと決まったら教育委員会に報告する(通常は、対策と結果も事後報告させられる)。そして、対策を考える。しかしこれでは、学校はなるべく「いじめ」ではないと判断したくなるに決まっています。

だから、統計上は、いじめられている者がいじめと感じたら「いじめ」とカウントすればよいのです。但し、それは学校に「対策義務」を生まない。学校が行うのは、精神科医やスクールカウンセラーの助言を聞いて「転校許可」を出すことくらいです。一方で、これは学校としても無視できない、明らかにいじめだと判断すれば、毅然として出席停止を教育委員会に申請する、教育委員会が出席停止に合意しないときは加害者を別室に移して授業する、などの処置に出ればよいのです。

但し、これは両方とも処罰ではありません。あくまで、被害者保護の手段です。加害者処罰はこれとは別に必要です。反省文を書かせてクラス全員や全校生徒の前で自分が何をしたのか明らかにして被害者に謝らせる、一定期間奉仕活動をさせる、部活や委員会活動でのいじめならその集団から除籍する、等の処置が考えられます。そうしておいて、処罰後きちんと学校生活が改まったかを、先生が監視しておけば充分でしょう。

最後に校内犯罪は、それが犯罪であるか否かの判断権は学校にありません。中高年の教員の中には学校が治外法権であるかのごとき思い上がりをもった者がいますが、とんでもない話です。被害者は、証拠を押さえて直接警察に訴えればよいのです。警察は証拠に基づいて加害者を逮捕・補導する。その後、家庭裁判所の審判により、加害者が少年院に行くか、少年刑務所に行くか、保護観察処分になるかが決定されます。

暴力犯罪の場合、逮捕と同時に学校は被害者を守るために加害者を即時かつ無期限に出席停止にします。そして、家庭裁判所の審判が決定するまでに、処罰として強制転校させる。こうすれば、被害者は永続的に保護されます。暴力犯罪の加害者は、学校に戻ると独特の箔がついてスクールカーストの上昇という不当利得を得る場合があるので、江戸時代の遠島ではありませんが、強制転校させることがその防止策として有効なのです。

暴力犯罪以外の犯罪(いじめとしての窃盗や器物損壊、インターネットを使った誹謗中傷等)の場合、加害者は逮捕と同時にスクールカーストが暴落して、いじめを継続できないことが多いので、即時かつ無期限の出席停止にまでする必要はありません。しかし、強制転校はやはり加害者処罰として行うべきだと思います。加害者処罰は、加害者の反省を促すだけでなく、被害者の精神的救済や中立・傍観者への警告としても重要な役割を果たしているからです。

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内藤朝雄『いじめの構造』より

コミュニケーション操作系のいじめには

次に、コミュニケーション操作系のいじめの問題に入ろう。生活のおりおりの、「嫌い」という感情が表にあらわれただけのことばや、表情や、皮肉な笑い、無言のニュアンスなどを記録することは不可能だ。また仮にできるとしても、それを法的な取り締まりの対象にすることは、市民社会の法のありかたとして好ましくない。そのような意味で悪口、「しかと」「くすくす笑い」といった、コミュニケーション操作系のいじめに対して、司法は無力であるし、また無力でなければならない。

では、どのように対処すればよいのか。第5章第1節で論じたように、コミュニケーション操作系のいじめは、親密な人間関係を選択する交際圈を極小化する、小ユニットヘの強制帰属(おしこめ)の効果によって成立している。

それは、共同体主義的な学校の枠がなければ存在しえないか、少なくともその効力が無視してよいほど微小なものになってしまうタイプの迫害である。

学級や学校への囲い込みを廃止し、出会いに関する広い選択肢と十分なアクセス可能性を有する生活圏で、若い人たちが自由に交友関係を試行錯誤できるのであれば、「しかと」で他人を苦しませるということ自体が存在できなくなる。たとえば、大学の教室では、だれかが「しかと」をしようとしても、それが行為として成立しない。何やら自分を苦しめたいらしい疎遠なふるまいをする者には魅力を感じないので、他の友ともっと美しいつきあいをする、という単純明快な選択を行うだけですべてが解決する。

「しかと」をしようとする者は、相手を苦しめるどころか、単純明快に「つきあってもらえなくなる」だけである。市民的な自由が確保された生活環境であればあるほど、コミュニケーション操作で人を苦しめようとする者は、コミュニケーションがじわじわと効いて相手が被害者になる前に、単純明快につきあってもらえなくなる。被害者の候補は、邪悪な意志をただよわせた者たちから遠ざかり、より美しいスタイルの友人関係に親密さの重点を移していく。たったそれだけのことで、コミュニケーション操作系のいじめは効力を無化されてしまうのである。

結局自由に友を選べる広い交際圈では、他者を被害者にしたてあげるよりも速い速度で、関係が不可能になる。広い交際圈では、魅力によってしか距離を縮めることができない。教育制度を変革して広い交際圈で自由かつ容易に友を選べるようにすれば、生徒たちは古代インカ帝国の儀式をリアルに思い浮かべることができないように、「しかと」とはいったい何なのか理解できなくなる。

短期的な処方箋としては、現在の学校制度の枠内で学級制度を廃止するだけでも、かなりの効果が期待できる。もちろん単一の学校に強制帰属させる制度を廃止するべきであるが、その中長期的な改革の実現を待つあいだに学級制度を廃止するだけでも、当面の現状をよりましなものにすることができる。ただし学級制度を廃止しても、暴力を放置すればギャングが跋扈することになる。暴力を厳格に司直の手に委ねる学校の法化と学級制度の廃止は、両方同時に行わなければならない。

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