いじめ被害者が加害者に転じるメカニズム

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内藤朝雄『いじめの構造』より

1−被害者に自分を投影してコントロールする

「投影同一化」
かつていじめられた経験を持つ者が、執拗にいじめをする場合、しばしば、被害者を〈容れ物〉に見立てることがある。この場合、加害者は、その容れ物となった被害者のなかに自分を投影しながら、相手をコントロールするのである。このメカニズムは「投影同一化」と呼ばれ、イギリスの精神分析家メラニー・クラインが提唱した考え方である。

くわしく説明しよう。投影同一化においては、自己の分割された一部が、他者に投影され、自己の一部であり続けながらそのまま、投影先(うつわ=〈容れ物〉)と同一視され続け、投影先のなかでじわじわと生きられる。このように自分の内的世界を他人におしかぶせる(投影する)側は自分が相手の内に投影した感覚を、しばしば相手が実際に体験しているようにも感じる。

投影同一化は、このように自他の境界が曖昧に感じられるような幻想であると同時に、現実の他者操作でもある。すなわち、投影された自己の一部が自分に都合のよいやりかたで生きられるように、投影先(うつわ)としての他行を実際に操作し、その後に、そのうつわのなかで都合よく加工された自己が(自分にかえってきて)再同一化される。

投影する側は、他者のなかから己を生きるために、その投影された部分を、他者を支配することで支配しようとする。そして、やっきになって他者を操作する。

クラインの弟子のビオンは、投影同一化に、〈容れ物〉という着眼点を加えた。それは、自分にとって耐えがたい体験のひな型を、他者を使用してより快適なものへと加工する方法でもある。すなわち、投影される自己の耐えがたい内容が投影先である〈容れ物〉に入れられ、その〈容れ物〉のなかで内容がより快適なものに変化し、その変化した内容がもう一度自已に返ってくる。このような〈容れ物〉として使用される側は、「誰か他者の空想のなかの一部分を演じているように操作されていると感じる」

他者のなかで自己を生きようとしてかなわなかったり、望みの自己が返ってこなかったりすることもある。投影された部分が望みのしかたで再内在化されなければ、投影者ぱ心的に消耗する。自己と他者が重ね合わされるような体験の生成が、始動すると同時に頓挫するという事態は、しばしば、〈全能はずされ憤怒〉による独特の攻撃性を生む。

この投影同一化/〈容れ物〉—内容のモデルを用いれば、「いじめられた者がいじめる」現象を原理的に説明することができる。



過去の体験を癒すメカニズム
図10は、過去に痛めつけられた体験を有するいじめる側が、いじめられる側を〈容れ物〉とした投影同一化を用いて、自分が傷つき痛んだ体験のひな型を補修し、癒そうとするメカニズムを示している。まず、図10の「みじめな筋書ユニットA」を見ていただきたい。これは、「迫害者のなすがままに痛めつけられ、屈服し、壊される、みじめな弱者としての自己(I)」と、「圧倒的な力で、弱者を理不尽に痛めつける酷薄な迫害者としての他者(II」という筋書構造を有している。

このように、圧倒的に強い者から理不尽に痛めつけられ、なすがままにされて屈服するしかなかったみじめな体験は、しばしば通常の記憶(人生の物語)とは感情的に切り離されて、凍りついた記憶となり、披害者にとり憑く。それは、記憶喪失ではなくて、「あってもない」「知っていて知らない」というやりかたで感情的に切り離されている。あるいは、選択的に視野に入らないというやりかたで解離されている(凍結記憶)。

だが、この凍結された記憶は、日々生きられる生の地平に、漠然とした不安やみじめな気分をしっかりと散らし続ける。これが、パソコン上でいつのまにか作動している不愉快な常駐ソフトのように、世界に暗い影を落とす。

このような「欠け」を抱えた者がいじめのチャンスを獲得すると、しばしば、次のような「浄化の儀式」にとりつかれる。すなわち、過去の痛めつけられるみじめな自己を他者に投影し、それを、他者に無理矢理生きさせつつ、他者の内側からひそかにふたたび生きる(他者を〈容れ物〉として用いた凍結記憶の解凍)。と同時進行的に、過去の迫害者と同一化して、現在の自己を強者として生き直そうとする(攻撃者との同一化)。図10のクロスした矢印つきの二本の線は、次の二つの投影同一化のラインをあらわしている。

一方では、いじめる側は、かつて自分を痛めつけた迫害者と同一化している。いじめる側は、かつて自分がやられたのと同じことを相手に対してする。「みじめな筋書ユニットA」の「迫害者としての他者」(II)から、「いじめの全能筋書ユニットB」の「迫害者としての自己」(III)に向かう矢印(II→III)がそれである。

他方、いじめる側は、痛めつける役を生きながら同時並行的に、自分が現に痛めつけている他者の内側で「過去の痛めつけられた自己」をもう一度生きる。筋書ユニットAの「みじめな弱者としての自己」(I)から、「いじめの全能筋書ユニットB」の「みじめな弱者としての他者」(IV)に至る矢印(I→IV)が、この、もうひとつの側面である。凍結されていたかつてのみじめな自己の記憶は、いじめ行為によって解凍され、被害者によって具現されて(具体的なかたちにしてあらわされて)体験される。そして、いじめられた自分のかつての特徴は、相手の特徴として体験されてしまう(I→IV)。

たとえば、自分が痛めつけているにもかかわらず、痛めつけられている相手(=過去の自分の投影先)を見てむしょうにイライラする。そして、ますます痛めつけ、えらぶって超越や達観を教え諭したり、イライラして痛めつけたりする。こうして相手をさんざんいじくりまわしたあげく、やっと、いじめられているのではなくいじめている自分を心の底から確認し、過去のみじめな自分から少し離脱したような気になることができる。

このように、攻撃者との同一化を組み込んだ自他反転的な投影同一化/〈容れ物〉‐内容のメカニズムによって、耐えがたい体験の枠組を書き換えることができる。

すなわち、いじめは、自分にとって耐えがたい体験のひな型になってしまった筋書(図10の「みじめな筋書ユニットA」=「理不尽に痛めつける他者とみじめな自己」)を、他者を利用してより快適なもの(図10の「いじめの全能筋書ユニットB」)に加工する「癒し」の作業になる。

投影される耐えがたい内容が投影先である〈容れ物〉に入れられ、その〈容れ物〉のなかで内容がより快適なものに変化し、その変化した内容がもう一度自己に返ってくる。いじめ被害者という〈容れ物〉は、「過去の痛めつけられた自己」を入れると「現在の痛めつける自己」を返してくれる。加害者は、このような心理‐社会的な操作のための〈容れ物〉として被害者を執拗に使用する。相手に「このような〈容れ物〉として具体的にふるまってもらう」という体験構造上のニーズが、いじめの執拗さを支えている(体験構造ニーズに基づく他者支配)。

また、このような〈容れ物〉として使用される者は執拗に操作され、実際に他者の空想の一部にとりつかれたかのようにふるまうようになる。このメカニズムは、「自分たちなり」の小社会の秩序に埋め込まれる。

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