他者をコントロールすることで得られる全能

------------------------------------------------------------------
内藤朝雄『いじめの構造』より

3−他者をコントロールすることで得られる全能

「全能筋書」
前節では、もっぱら暴力によってかたちを与えられる全能の感覚をとりあげた。暴力に限らず、さまざまな生の場面において、全能感は、まずもって不全感を初期条件とする反転の感覚として生じる。すなわち、不全感をかかえた者の認知情動システムが誤作動(暴発)を起こし、突然、世界と自己が力に満ち、「すべて」が救済されるかのような、曖昧な「無限」の感覚が生まれる。

このように全能はもともと錯覚であり、かたちがない。しかし、全能に憑かれた人は、何らかの別の生のかたちをうつしとり、全能をその筋書に託して具現する(具体的なかたちにしてあらわす)ことを、執拗に求める。わたしたちは、白紙の状態ではなく、一定の筋書によって、ものごとを欲望し、体験するようにできている。体験のひな型が、いつもお好みの筋書によって世界を描き出すようスタンバイしている。全能という錯覚をしつこく求め続けるためには、そのための体験の筋書を、ほかの場所から転用して「でっちあげ」続けることが必要になる(本書では「筋書」という語を、このような原理的・根本的な意味で用いている)。

このように、全能の気分を味わうための筋書を本書では「全能筋書」と呼ぶ。たとえば前節の「軍団」の事例では、上級生から身を守るための「実用的」な手段としての暴力のかたちが、全能筋書に転用されている。暴力にかぎらず、暴走、セックス、スポーツ、アルコール、社会的地位の獲得、蓄財、散財、仕事、ケア、苦行、摂食、買い物、自殺など、おりとあらゆるもののかたちが、この全能筋書に流用されうる。

本書で問題にするのは、他者をコントロールするかたちを用いた全能筋書である。多くのいじめは、集団のなかのこすっからい利害計算と、他人を思いどおりにすることを求めるねばねばした情念に貫かれている。この情念の正体は、他人をコントロールするかたちを用いた、全能気分の執拗な追求である。

自分の手のひらの上でこの、他者をコントロールする全能というものについて、掘り下げて考えてみよう。たとえば、コップを壁にたたきつけて粉々に砕いても、そこには他者コントロールの手応えはない。

それに対して他者は、自己とは別の意志を有しており、独自の世界を生きている他者である。だからこそ、いじめ加害者は、他者の運命あるいは人間存在そのものを、自己の手のうちで思いどおりにコントロールすることによって、全能のパワーを求める。思いどおりにならないはずの他者を、だからこそ、思いどおりにするのである。これを、他者コントロールによる全能と呼ぼう。

他者コントロールによる全能には、さまざまなタイプがある。いじめによるものは、そのうちのひとつだ。他者コントロールによる全能にふける人は、いじめと境界が曖昧な、近接したジャンルの他者コントロールに血道をあげていることもある。

たとえば、世話をする。教育をする。しつける。ケアをする。修復する。和解させる。蘇生させる

こういうケア・教育系の「する」「させる」情熱でもって、思いどおりにならないはずの他者を思いどおりに「する」ことが、好きでたまらない人たちがいる。このタイプの情熱は、容易に、いじめに転化する。というよりも、しばしばいじめと区別がつかないようなしかたで存在している。

いろいろ細かく世話をしたがる情熱を周囲にぷんぷん発散している人は、他人を思いどおりに世話するお好みの筋書を外されると、悪口を言ったり、嫌がらせをしたりする側にまわるものである。

他人を自分が思い描いたイメージどおりに無理矢理変化させようと情熱を傾け、それを当人に拒否されたり、周囲から妨げられたりすると、「おまえが思いどおりにならないせいで、わたしの世界が壊れてしまったではないか」という憎しみでいっぱいになる。「わたしの世界を台なしにしたおまえが悪い。そういうおまえを、台なしにしてやる」というわけである。

この思いどおりにならない者への復讐もまた、しばしば教育や世話の名のもとに行われる。なかには、かいがいしいケアによって他人を回復させる感動体験に、欲望を駆り立てられてやまない人々がいる。自分がコントロールする手のひらの上で、他者が生死の境をぶるぶるふるわせながら、すっぱだかな、むきだしの生になっていく。それがたまらない。子どもをわざわざ溺れさせてから、蘇生させて感動を味わう、といった蘇生マニアの犯罪も、まれに報告される。

いじめによって全能感を享受するしかたも、ケアや教育といったものと、その根幹部分を共にしている。いじめの加害者は、いじめの対象にも、喜びや悲しみがあり、彼(彼女)自身の世界を生きているのだ、ということを承知しているからこそ、その他者の存在をまるごと踏みにじり抹殺しようとする。いじめ加害者は、自己の手によって思いのままに壊されていく被害者の悲痛のなかから、(思いどおりにならないはずの)他者を思いどおりにする全能の自己を生きようとする。このような欲望のひな型を、加害者は前もって有しており、それが殴られて顔をゆがめるといった被害者の悲痛によって、現実化される。これがいじめの全能筋書である。

TOP [ニート・ひきこもり・不登校(登校拒否)の原因と親]

inserted by FC2 system