不全感から生じる群生秩序

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内藤朝雄『いじめの構造』より

2—不全感と全能感の「燃料サイクル」

「みんなむかついていた」
次の事例は、前節の図3で示したような、心理‐社会的なシステムのもっとも単純なケースである。ここから、いじめの場でよくみられる、心理‐社会的なメカニズムの輪郭線を描いてみよう。

【事例7・軍団】
公立のA中学の一年生に「軍団」なる暴力グループが発生した。上級生の暴力グループに「目をつけられた」者たちが対抗的に団結したのが結成の発端であったが、しばらくすると少年たちは「軍団」にふけりはじめた。それ以前の彼らは、特別に問題のある少年たちではなかった。また、おいたちや家庭環境にとりわけ問題があるとも思えなかった。

彼らは二年生になると学校や地域を「制覇」しはじめた。彼らは、同学年のクラスに次々と乱入し、手当たりしだいに殴った。授業中にも乱入した。廊下で誰かれかまわず因縁をつけては、卑屈な態度をとらない者を殴った。気にくわないと思った下級生には「焼きを入れ」た。上級生グループや他校のグループとも抗争した。他校との抗争中には、路上でその学校の生徒を見つけると、無関係な者でも殴った。また抗争に木刀などの武器を用いることもあった。A中学の生徒たちは暴力支配におびえて暮らした。

「軍団」の暴力に、教員も保護者もなすすべがなかった。彼らは、事態を教育の問題ととらえ、司法による解決や出席停止を嫌った。親のグループは(自分の子どもが被害を受けたにもかかわらず)加害少年を敵視せず、話し合いの場では、健全な育成を願う会話がなされた。周囲から嫌悪の対象となり、針のむしろに座らされたのは、抜け駆け的に警察に相談した被害者の親や、暴行により身体に傷を負ったとして生徒を告訴した一教員であった。

教員たちは、彼らの卒業を待ち、その後に「生活指導」の引き締めを図る方針をかためた。つまり、暴力グループが何をしても警察を呼ばず、出席停止にもせず、被害者に対してやりたい放題やらせておき、そのかわりに、もともとおとなしい新入生を服装・髪型などの校則でしばりつけ、「なめられない」ように教員への「不遜行為」をとりしまり、学校行事に強制動員することで、「学校の秩序」を回復しようとした(A中学の生活指導担当教員は、生徒が起こす間題行動のひとつひとつを丁寧に説明してくれた。そのなかに出てきたのが、教員に対する「不遜行為」という名の項目であった。これは、暴行、傷害、窃盗、脅迫といった犯罪と、同列に並べられていた)。

「軍団」のつきあいは卒業後も続いている。彼らは集まっていっしょにいることを好む。彼らの中心メンバーの多くは高校を中退し、定職を待たず、街を徘徊しては他のグループと抗争したり、さまざまな事件で警察に逮捕・補導されたりしている。

筆者は彼らの居住地域にしばらく滞在し、行動を共にした。少年たちは自慢話に花を咲かせ、筆者はひたすら興味深く間いた。彼らは中学時代の被害者について、次のような話をおもしろおかしく話し、笑い興じる。

1.不良に反感を待っているまじめな生徒を待ち伏せして思いきり蹴ったら教室の端から端まで飛んでいって、鉄パイプのようなものに頭をぶつけた。さらに彼に土下座させて謝らせ、ふんづけた。

2.「弱すぎるからふざけて殴っていた」生徒が、二日間「飯を食えなくなった」。彼はバナナを一本待って学校の前まで来たが、足がふるえて歩けなくなり、学校に近寄れない。それから○○公園に行き、遺書を書き自殺しようとしたが、未遂で終わった。

当時、彼らは何に対しても「むかつく」「むかつく」と言っていた。たとえばある少年は、朝起きて親とけんかしてむかつく。学校に行って男子と女子が仲良くしているのを見てむかつく。廊下を歩いていて理科室のにおいがしてむかつく。「廊下が気にくわねえ」。といった具合である。また別の少年は、自分たち以外の者が「調子に乗っている」とむかつくと言う。「調子に乗る」とは、たとえば授業中にうるさいとか、女といちやいちゃするとかいったことである。

中学時代の彼らはむかつくと誰かれかまわず殴る。気がおさまるまで殴る。あばれたらすっきりする。彼らは当時をふりかえって言う。「みんなむかついていた。みんなあばれていたよ」「どうしようもなかったよ」「楽しかったな」「狂気だよね」。

「軍団」活動のピークと、彼らが「むかつく、むかつく」と言っていたピークとはだいたい一致している。少年たちは仲間内で悪いことをしたことを自慢しあう。すごいと思われるとうれしい。暴力は「力の誇示」であり、その「力」を仲間同士でほめあう。たとえばある少年は別の少年のことを、「強い・危ない・かっこいいと三拍子そろった」といったふうにほめる。彼らは学校を制覇し、他校のどこにも負けないと誇る。それに対して筆者が「甲子園大会で優勝したようなものだな」と言うと、じつに嬉しそうな表情をする。

ある少年は「かっこわるいやつは弱い」という。強いと後輩から「神様みたいに」あがめられ、女子からもてるから気持ちがいい。ある少年は、当時学校の便所に放火したことを自慢する。別の少年は、校長室に乱入し「何でクラス替えしねえにゃ、こらっ」とヤクザの口まねをしながら椅子を蹴り、おびえた校長が逃げたことを自慢する。別の少年は、シャベルを持って暴走族を待ち伏せし、殴りつけていたことを自慢する。

「軍団」の少年たちは、「友だち」がいちばん大事と口をそろえて言う。彼らは「友だち」のかっこよさや強さをうれしそうにほめたたえる。だが話をよく間いてみると、ある時仲が良かった「友だち」が、次にはぼろくそに言われている。たとえばある少年Aは少年Bと特別仲がいいと語っていたし、実際にそのようであった。しばらくたってBが「つきあいが悪い」ということで仲間内の悪口の標的になると、AはBをぼろくそに言う。たとえば、Aは自分たちのメンバーの名前を挙げながら、「こんなか、かっこわるいのいないっす」と言った。その直後に誰かが「B以外」と言うと、Aが「B以外みんなかっこいいっす」とことばを続け、まわりがうなずく。

また、ケンカがいちばん強いことからリーダー格と目されていた少年Cも、「つきあいが悪い」ということで悪口の標的になったことがある。彼らが集まるときはいつも他の人たちの話をする。話題としては、先輩の話と、その場にいない仲間の悪口が多い。つきあいが悪いものは悪口の標的にされる。少年たちは、これまでの人間関係の経緯をすべて記憶しているが、このことを感情的には切り離していた。「けっこう不安定な人間関係だね」という筆者に対して、少年たちは「みんな、仲いいですよ」と答えた。

ある少年はあらゆることにむかつくと言いながら、仲間について次のように語る。「ひとりでいたらむかつく。ひとりでいると胸がもやもやしてくる。仲間といると、ひとりのむかつきがおさまる」。

筆者は別の少年と二人で話した。彼は仲間から「強い・危ない・かっこいいと三拍子そろった」とほめちぎられていた少年である。「軍団」と縁が切れたら自分はどうなると思うかと尋ねると、彼は「弱くなる」と答えた。1.両親が死んだら、2.(結婚するつもりの)彼女にふられたら、3.学校を退学になったら、弱くなると思うかという質問に対して、彼は「思わない」と答えた。仲間といて何が与えられるのかという質問に対して、彼は「仲間といると何でもできるっていうか」「自分を守るっていうか」と答えた。

あるとき彼が盗んだバイクの件で仲間が警察につかまり、彼はチクったという疑いをかけられた。そのときどう感じたか尋ねると、彼は「むかついた」と答えた。この件で仲間と縁が切れそうになったときどう感じたかという質問に対して、彼は「強いほうにつくっていうか。そういう疑われたりしても、強いやつが、そう言えば従うというか」と語った。

彼に円グラフをイメージしてもらい、自分にとっての重要度という点で、「軍団」の仲間、親、結婚するつもりの彼女、学校がそれぞれ何パーセントになるかを答えてもらった。彼は、「軍団」四〇パーセント、親二〇パーセント、彼女二〇パーセント、学校二〇パーセントと答えた。

次に筆者は、A君、B君、C君、D君……と、「軍団」のひとりひとりの名前を挙げながら、自分にとってどのぐらいの重要性があるかを尋ねた。「ひとりひとりは、べつに、何とも思わないです」「とくべつ仲いいとか、そういうわけでもないです」という答えであった。同じように円グラフをイメージしてもらうと、彼はひとりひとりの重みは「1ぐらい」と答えた。筆者は、「たとえばA君B君C君とあなたの四人で会うと仲間の重要性は40だけど、ひとりの個人だと1になるんですね」と尋ねた。彼は「はい」と答えた。
(筆者のフィールドワークによる)

少年たちの「むかつき」
少年たちは、何に対しても「むかつく」と言う。しかしじつのところ、当の本人たちも、自分が何に「むかついて」いるのかわかっていない。この「むかつき」ぱ、「おなかがすいた」「歯が痛い」「あいつに嫌なことをされたけど、仕返しをすることができないからくやしい」といったものではない。

また、何をしたら解消するといったものでもない。親とけんかしても/しなくても、男子と女子が仲良くしていても/していなくても、理科室のにおいがしても/しなくても、彼らは「むかつき」続けるだろう。

この「むかつき」は、何かに対する、輪郭のはっきりした怒りや不満ではない。そうではなくて、「存在していること自体がおちつかない」、「世界ができそこなってしまっている」ような、漠然とした、いらだち、むかつき、おちつかなさ、である。こういう、いわば存在論的な不全感に直面したときの、かけ声が、「むかつく!」なのである。

さて、少年たちは仲間と集まり、暴力によってかたちを与えられる全能感によって、この「むかつき」から「守られ」、「何でもできる」気分になる。この奇妙な気分は、さきほどの存在論的不全感を初期条件として生じる、その不全感の反転(逆転の感覚)現象である。つまり、不全感をかかえた者の心理システム(認知情動システム)が誤作動(暴発)を起こし、突然、世界と自己が力に満ち、「すべて」が救済されるかのような「無限」の感覚が生成する。

本書では、あらためて、この誤作動の感覚を全能感と呼ぶ。また、この錯覚に駆り立てられて欲望が向かう(ありもしない)「無限」の状態を、全能と呼ぶ。
(全能の成立については、拙著『いじめの社会理論』〔柏書房〕も参照されたい)。

群れと暴力

この全能感は、軍団の少年たちの場合、仲間を媒介することによってしか得られない。仲間と疎遠になると自分が「弱くなる」。このように全能感を生み出す媒体としての仲間の重要性は、ときとして親や恋人や学校よりも重くなる。しかし、「軍団」のひとりひとりの重みは無にひとしい。少年たちの集団は、最初は上級生の暴力からの自衛という共通の目標のために組まれたものであった。しかし、いったんできあがった「軍団」は、そのきっかけ要因から離陸して、前掲の図3のような心理‐社会的なシステムとして作動しはじめた。

彼らの暴力は、仲間関係に位置づけられている。群れの暴力は、孤独な暴力では感じることができない、お祭り的な全能感をもたらす。彼らはただ暴力を振るうだけでなく、それを仲間うちでしきりにしゃべり、承認を求め、偉業をほめたたえあう。このように、暴力自体の全能感と、暴力を中心に群れて響きあう全能感が、ひとつのお祭り感覚に圧縮されている。このようなお祭り的な全能感を中心にして、少年たちはさらに群れて交わる。つまり、以下のようなプロセスが繰り返される。

1.暴力の全能感を中心にして群れが形成される。
2.この群れのかたちに枠づけられて、次の時点の暴力の全能感が成立する。
3.この暴力の全能感を中心にして次の時点の群れが形成される。
さらに、これが繰り返されるほどに、暴力の全能感と群れることの全能感が折り重なって癒着していく。このサイクルは、図3のような心理的なモード変換(A→B)の連鎖でもある。

心理社会的な燃料サイクル

少年たちは、「軍団」ができる前は、普通の生活に満足し、「むかつく」「むかつく」といった生活を送っていたわけではない(図3のAモード)。ところが「軍団」のサイクルがまわるにしたがって、前述のように全能を求める内的モード(図3のBモード)が著しく中心化し、そのことによって、もともとの内的モード(Aモード)による生のリアリティが解体し、希薄になり、今まで慣れ親しんだ世界ができそこなっていく。そして、この世界ができそこなう効果として、最初の存在論的な不全感(「むかつき」)が再生産される。その不全感から、さらに全能を求める。これが繰り返されて、不全感と全能感の、いわば心理‐社会的な「燃料サイクル」が完成する。

このようなサイクルの中で、少年たちが「むかつく」「むかつく」と言っているピークと、「軍団」活動のピークが一致するのは、当然である。また、少年たちは、全能の暴力祭りを起動するための触媒として「むかつく」よう、自分たちの心理状態を操作し、これみよがしに「むかつく」「むかつく」(=「祭りだ」「祭りだ」)と声をあげているようにも見える。

以上のような心理‐社会的なサイクルが回ることで、「軍団」は最初のきっかけ要因(防衛のために団結する必要)から離陸し、それ自体の内的論理によって自立した。そして少年たちは、「軍団」に寄生された寄主(カタツムリ、ヨコエビ、ミツバチ)のような生活を送ることになる(図2および図3)。

彼らは「軍団」のBモードどおりに、人の命を虫けら扱いし、被害者が死んでもおかしくないようなことを平気で行った。そして仲間も、群れて全能が響きあうための共鳴板にすぎず、一個人としては無に等しい。少年たちには、仲間はいても友だちはいない。

次節以降では、他人を思い通りにしたり、いじめをしたりすることによって全能を求める、心理−社会的なメカニズムをより詳しく説明していこう。
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管理人メモ:
★不全感→群生秩序の発生→全能感の獲得

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