いじめの原因は被害者にもあるのか?

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森口朗『いじめの構造』より

妄言二 「いじめは加害者が一〇〇%悪い。被害者には何の問題もない」

いじめは悪いことです。ですから、いじめの加害者は全員が何かしら悪いことをしています。その意味では、「いじめの加害者は 一〇〇%悪い」は正しい言葉です。

しかし、妄言二は、これとは似て非なるものです。加害者と被害者の関係において、加害者が 一〇〇%悪く、被害者には全く非がないという主張です。確かにそういう場合もあるでしょう(おそらく一番多いケースだとは思います)。でも、いじめの実態は多様ですから、そんな場合だけとは限りません。昨日までいじめの首謀者だった子が、何かのはずみでいじめの被害者に転落することだってあります。この場合、被害者には何の責任もないと言えるでしょうか。断じて否です。その子がいじめられる最大の原因は自らの前日までの行動にあり、責任も自身にあります。

妄言二の被害は、子どもの実感と乖離した正論しか吐かない教師の指導に説得力がなくなり、クラス内世論が加害者優位になることです。妄言二は通常、「原因論」と「責任論」が峻別されずに発言されています。いじめ被害者に原因があるかという問題と、いじめ被害者に責任があるかという問題は全く異なる問題です。そして、子ども達の中では、その点が明確に区分されないままいじめが正当化されているのです。

次頁の図表10は、原因と責任の関係を集合図で表したものです。

1.被害者に原因も責任もない場合。
2.被害者に原因はあるが責任はない場合。
3.被害者に原因も責任もある場合。
4.被害者に原因はないが責任はある場合。



この点は法律の責任論と異なります。法律上の責任は原因がなければ問う必要がないので思考されませんが、論理的には4つのパターンが想定できます。もちろん、教師によるいじめ指導の中心は2のパターンです。2にも、「被害者が真面目だから」という完全な言いがかりから、「被害者が自己中心的だから」という、子ども世界では「真っ当な理由」の場合まで様々です。そして、子どもの感情も判る場合こそ、教師が最も冷静にならなければならない場面です。その時に、教師自身が納得できないようなきれい事(妄言二)は、指導が上滑りになるだけで百害あって一利なしなのです。

では、被害者に責任がある場合はどうするか。私は、この場合は教師の裁量によって多少はいじめの成り行きを見守ることが許されると思います(校内犯罪が起きれば別です)。しかし、最終的には、「たとえ被害者に責任があってもいじめは許されない。なぜなら、被害者の責任(元いじめの加害者、人の物を盗んだ、人に暴力を加えた等)は過去のものであり、君たちはもう充分に彼に報復をしたからだ。これ以上彼をいじめる行為を、先生は許すつもりはない。次に見つけたときは学校としても出席停止などの断固とした処置をするから覚えておくように」といった指導はすべきでしょう。ただし、仲間はずれのようなコミュニケーション系のいじめは、責任ある被害者は学年が変わるまでは甘受すベきだと思います。

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