侮辱的な言葉で自尊心を攻撃する毒親

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スーザン・フォワード『不幸にする親 』より

五章 残酷な言葉で傷つける親

 肉体的な暴力でなければ暴力ではないと考える人は多いが、それは正しくない。言葉による暴力はそれと同じくらい、時にはそれ以上に人を傷つける力を持っている。特に、親による侮辱的なののしり、はずかしめ、バカにした言葉などは、子供の心を著しく傷つけ、将来の心の発育に劇的な悪影響を及ぼす。ある時、私にこう言った人がいた。

 「ひどい言葉で傷つけられるのよりは、ぶたれるほうがまだましですよ。ぶたれた痕が残っていれば、少なくともみなが同情してくれる。言葉で傷つけられた場合には外から傷が見えないでしょう。体の傷は心の傷よりずっと早く治りますよ」

 従来、子供のしつけというのはプライベートなことと考えられ、各家庭の、特に父親の自由裁量で行われてきた。近年ではひどい親による子供の虐待の問題が社会的に真剣に取り扱われるようになってはきたが、それでも言葉による虐待についてはまったく何もなされていないのが実状だ。

 残酷な言葉の持つ力

 どんな親でも、時には口汚い言葉を子供に浴びせることもあるかもしれないが、それだけでは必ずしも言葉による虐待ということにはならない。だが、子供の「身体的特徴」、「知能」、「能力」、「人間としての価値」などについて、日常的かつ執拗に、ひどい言葉で攻撃を加えるのは虐待である。

 言葉で傷つける親には、「コントロールしたがる親」と似た、きわだった二種類のタイプがある。そのひとつは、はっきりと悪意のあるひどい言葉や汚い言葉で露骨にののしるタイプ。もうひとつは、一見悪く言っているようには聞こえない「からかい」、「嫌味」、「屈辱的なあだ名」、「はっきりとわからない微妙なあざけりやけなし」などの、より陰険な方法で執拗にいじめるタイプで、これはしばしばユーモアという外見を取りつくろっている。

 ここではまずはじめに、その後者の例として、ある四十八歳の歯科医のケースをあげてみよう。彼は背の高い、いかつい顔つきの男性で、趣味のいい服に身を包んだところは一見外向的で自信に満ちた男のように見えた。だが、話を始めるとたいそう声が小さく、よく聞き取れないので何度も聞き返さなくてはならないほどだった。彼が私をたずねてきた理由は、内気な性格を直せないだろうかという相談だったのだ。

  「人がロにする言葉に異常に敏感で、そのまま言葉どおりに受け取ることができず、自分のことをバカにしているのではないかといつもくよくよ考えてしまう。妻のあの言葉は自分をバカにしている、親は自分をバカにしている、あの人があの時言ったのは……という調子で、夜中にベッドに入っても昼間に人が言った言葉が気になって寝付けないことがある。すべてを悪いほうにばかり解釈してしまう自分がとめられない。このままではノイローゼになってしまう……。」

 子供時代のことを聞いてみて、彼はいつも父親にからかわれていたということがわかった。父はジョークを言う時に、いつも必ず彼をだしに使ったのだという。それで彼はいつも屈辱感を覚えさせられ、家族のメンバーがみなで彼を笑うので、自分だけ一人ぽっちのように感じていたという。

「時には単なるジョークとは思えず怖くなることもあった。六歳の時、父は『この子はうちの子じゃないに違いないよ。顔を見てごらん。生まれた時に病院で別の家の赤ん坊と間違えられたのに違いない。病院に連れていって本当の子と交換してもらおう』と言った。本当に病院に連れていかれるのではないかと怖くなった。ある時、なぜ自分ばかりいじめるのかとたずねると、『いじめてなんかいないよ。ただ冗談を言っているだけじゃないか。お前にはそれがわからないのか』と言われた。」

 小さな子供は、ジョークと本当のことを区別することがまだできないし、脅しとからかいの違いもわからない。健康的なユーモアは人間生活にうるおいをもたらせ、家庭では家族のメンバーの結びつきを強める貴重な手段となるが、だれかをこき下ろすことによって残りの人間を笑わせようとする冗談は、とてもユーモアと呼ぶことはできない。家庭内でひとりの子供がターゲットにされると、その子供の心にはきわめて大きな傷が残る。子供というのは言われた言葉をその通りに受け取るものである。

 多くの冗談は、多少は人をからかう要素を含んでいる。だが通常そこに悪意はなく、ほとんどの場合はそのような冗談を言われたからといって深く傷つくということはない。そこで重要なのは、

(1)何を冗談のタネにしているのか、
(2)残酷さの程度、
(3)その発言の頻度、


の三つであり、それによっては冗談が冗談でなくなるのである。子供というのは、親の言葉はすべて額面通りに受け取り、自分のなかで「内面化」(後述)してしまうものである。傷つきやすい子供をターゲットにして冗談をくり返し言う親は、加虐的で有毒である。

 この男性の場合は、いつもこき下ろされ、笑いものにされていたが、それに抵抗して争おうとすると、今度は「冗談がわからないやつだ」と責められ、「ダメなやつだ」とやはり自分が悪いことにされた。子供はそういう状態に置かれた時、感情の持っていき場がない。彼は子供時代の体験を私に話している間じゅう落ち着かず、もう何十年も前の出来事なのにもかかわらず、いまだに思い出すたびに居心地の悪い思いをしているのがよくわかった。

 彼のつぎの言葉は強く印象に残った。

  「私は父を憎んでいます。なんという卑怯者だろうと思いますよ。そのころ私はまだほんの小さな子供だったのですから。いまでも父は同じような冗談を言います。私をからかえそうなことが何かあれば、絶対に見逃さないんですよ。そしてひどいことを言っておいて、すぐ善人みたいな顔をして笑うんです。最悪ですよ。」

 彼はカウンセリングを始めたばかりのころ、自分が極度に神経質であることと子供時代の父親の“あざけり”とが関連していることにはまったく気づいていなかった。当時は、父親からひどいことを言われても、それがひどい行為だとだれも認めてくれず、だれも助けてはくれなかった。典型的な「絶対に勝ち目のない」状況に置かれていた彼は、「自分は弱虫だ」と感じていた。

 大人になって家から独立し、社会人になったが、それで基本的な性格が変わるわけではない。父親のいじめによって身についた、人に対するネガティブな反応のパターンは、対人関係で同じようにくり返された。それが人の言動に対する過敏な反応や不信感、非常に内気な性格、などとなって固定した。それは彼にとって避けることができなかったこととはいえ、そうなったところで傷つくことから身を守るにはまったく効果のないことだった。

 「お前のために言つてるんだ」という口実

 残酷で侮辱的な口汚い言葉で子供を傷つけながら、「お前をもっとましな人間にするためだ」とか「世の中は厳しいんだ。それに耐えられる人間になるよう教えているんだ」などといって正当化する親は多い。こういう親は、実際には虐待しているのに、表向き「教えているのだ」という仮面をかぶっているため、被害者の子供は大人になってもその有害性がなかなかわからない。

 なかには、とにかく子供をけなしてばかりいる親がいる。子供は「怒られている自分が悪いのだろう」とは感じても、やはりすっきりした気分にはなれない。後ろめたい気持ちに反発が混ざり合い、自分が何かをちゃんとやれていると思えることがなく、これでは自信など生まれるわけがない。何かがうまくできたと思った時でも、ひとことのけなしでその気持ちはしぼんでしまう。自信を育てなければならない大切な時期に、励まされるのではなくけなされるのでは、自信の芽は摘まれてしまうのである。だが親は、「わからせてやるため」という理由をつける。

 こういう親は、実は自分に能力がないことに対してフラストレーションを抱えている。なかには子供をけなすことで自分の優越性を示そうとする親もいるが、そういう親は、そのような行動をすることによって自信のない自分を隠しているのである。彼らは子供をクラスメートの前でこき下ろして恥ずかしい思いをさせるようなことも平気で行う。思春期の少年少女にとって、それはもっとも恐ろしいことである。だが「毒になる親」は、そんな子供の気持ちより自分の気持ちのほうが常に大事である。

 子供と競おうとする親

 何事でも人を自分と比較し、自分のほうが優れていないと気がすまない人がいる。こういう人は、相手に能力の欠ける点を思い知らせることによってでしか、自分に能力があると感じることができない。そういう人間にとっては、相手が自分の子供であっても同じことだ。特に、子供が思春期を過ぎて大きくなってくると、自分に自信がなく不安な親は脅威を感じるようになる。

 心の健康な親にとっては、子供が成長してさまざまなことができるようになってくるのは、喜び以外のなにものでもない。だが心の不健康な親は、自分から何かが奪われていくような気分になり、子供に「かなわなくなってくる」ように感じる。だが、子供に対抗しようとする親のほとんどは、なぜ自分がそういう気持ちになるのかに気づいていない。

 母親の場合、年とともに女としての魅力を失っていくことを不安に感じているところへ、娘がしだいに大人の女へと近づいてくる。父親は、年とともに力強さを失ってきているところへ、息子が自分よりも大きくたくましくなってくる。それは本来喜ぶべきことなのにもかかわらず、何事も自分のほうが優位でないと不安な「心の不健康な親」は、それに脅威を感じるのである。そこで、体の大きくなった子供に嫌味を言い、あざけり、恥ずかしめることによって、弱い立場のまま押さえつけておこうとする。一方、そういう親を持った思春期の子供はいっそう背伸びをして大人の真似をしたがり、それが親を挑発して、ますます事態を悪化させる。

 何事も競いたがる親は、子供時代に物が不足していたり、彼ら自身の親がやはりそのような人間だったために愛情を与えられなかった犠牲者であることが多い。その結果彼らは、物でも愛情でも、自分にとって必要なものがいつも不足している気分がしてあえいでいる。そのため、いくらたくさん手に入れても、「これで十分」と安心することができないのである。こういう親の多くは、自分自身が子供の時に親や兄弟姉妹から味わされたのと同じことを自分の子供に対してくり返す。この不当な扱いは、巨大な圧力となって子供の上にのしかかってくる。

 このような親に育てられた子供は、何かのことで親をしのぐことができた時、なんとなく後ろめたい気分になることがある。うまくやれればやれるほど、ますますみじめな気分になってくるのである。それが高じると、将来自分の成功を自らつぶしてしまうようになることすらある。

 そのような人間にとっては、あまり成功しないことが心の平安を得るための代価となる。彼らは無意識のうちに自分に限界を設定し、親に勝らないようにすることで罪悪感から救われようとするのである。ある意味では、そういう子供は親のネガティブな哲学を実行して満たしているともいえる。

 侮辱で押される熔印

 つぎは、理屈をつけて自分を正当化するような面倒なことはせず、怒りもあらわに残酷で口汚い言葉でののしり、長々となじるタイプの親だ。こういう親は、自分の言葉がどれほど深く子供を傷つけ苦しめているかということにはまったく無感覚で、そんなことは考えようともしない。言葉によるこのような虐待は、ちょうど心の奥深くに熔印を押したように傷跡を残し、子供が自分の存在に価値があると感じることのできる人間に成長することを困難にする。

 完全でないと許さない親

 子供をひどい言葉でののしるもうひとつのタイプに、すべてに完璧であるようにと子供に実現不可能な期待や要求をする親がある。そのような親の多くは、往々にして自分自身が何事につけ完全でないと満足できないタイプの人間であることが多いが、とかく子供を仕事などのストレスからくるフラストレーションをぶちまけるためのはけ口にしてしまうのである(アルコール中毒の親も子供に不可能な要求をすることがよくあるが、彼らの場合は、子供が要求通りにできないことを自分が酒を飲む口実にする)。

 このタイプの親は、まるで「子供さえ完璧であれば自分たちは完璧な一家になれる」という幻想を信じていなくては生きていけないかのようだ。彼らは自分たちが精神的に安定した家庭を築くことができない事実から逃れるため、その重荷を子供に背負わせているのである。だが子供は当然親の期待通り完全であることはあり得ず、するとそれを理由に一家の問題がそこにあるかのように扱われ、子供はスケープゴートにされてしまうのである。

 間違えたり失敗したりすることは、子供の心が健康に成長するためには必要なプロセスである。子供はそういう体験をすることによって、多少の失敗をしてもそれがこの世の終わりではないことを学び、その結果、経験したことのない新しいことにもチャレンジできる自信を身につけていく。だが、子供が自分の思う通りに完全でないと満足しない親は、過剰な期待や要求ばかり押しつけ、子供がその通りにできなかったり失敗したりすると、なぐさめるどころか落胆してみせたりなじったりする。また、そういう親は子供が守らなくてはいけないルールを作るのが大好きだが、それは自分の都合でいつも変わってばかりいる。

 子供が親から与えられることを必要としているのは、「自分は愛され守ってもらっている」という「安心感」なのに、これでは逆である。子供はいつも何かに追いかけられているような気分と不安感から逃れることができない。

 ここで、もうひとつの例を紹介しよう。ある時、職場で上司とうまくいかないという問題を抱えた三十三歳になる技師が私をたずねてきた。彼は見るからに内気そうで、自意識過剰ぎみに見え、自分に確信がなさそうだった。だが彼は、会社では上司と衝突してばかりいるうえ、最近集中力が落ちてきて、このままでは遠からずクビになってしまいそうだという。

 仕事について話を聞いているうちに、彼は地位や権威のある人物に対してはどうしても反抗心が起き、うまくやっていくのが難しい性格であることがわかってきた。そこで私は、両親についてたずねてみた。やはり彼も、子供のころから親にひどい言葉で人格を傷つけられてきた人間だったのだ。

 「九歳の時、母親が再婚した。義父となった相手の男は完全主義者で、日常の細かいことまで規則を作り、あらゆることを命令した。例えば、小さな子供の部屋はたいてい乱雑に散らかっているものだが、義父は子供の持ち物や子供部屋を毎日点検し、ちょっとでも散らかっていようものならひどい言葉でなじった。兄弟のなかでも特にターゲットにされ、ひんぱんに残酷な言葉を浴びせられた。義父は私を叩いたことは一度もなかったが、そのような言葉の暴力は、肉体的暴力に勝るとも劣らない傷を負わせたと思う。」

 なぜ義父は彼にばかりそんなことをしたのだろうか。彼の何かが、義父にそのような行動を起こさせたのである。彼は子供のころ体が小さく、恥ずかしがりで内向的だった。そしてわかったことは、義父もまた子供のころクラスでいちばん小さく、いつもみなにいじめられていたということだった。いまでは筋肉隆々としているが、それはボディービルをしてつけたものだという。

 義父の心のなかには、いまでも小さくて怯えた少年が住んでいた。だから自分の子供のころによく似た彼を見ると苛立ち、いしめずにはいられなかったのだ。はっきり見つめたくない、自分の劣っている点を彼のなかに見ると我慢ならず、無意識のうちにそれを叩きつぶそうとしたのである。義父はそうすることによって自分に力があることを確認していたのであり、どれほど彼の心に傷を与えていたかなどということは、考えもしなかったに違いない。おそらく、彼を完全な人間に仕立て上げようとしていたのだろう。

 「十八歳の時に母はその義父と離婚したが、私の心はすでにそれよりずっと前から十分すさんでいた。義父の望むような完全な子供にはどうせなれっこないのだから、そんな努力は無駄とあきらめていた。そして、十四歳の時にドラッグにのめり込んだ。自分の人生には期待など持てなかった。何かで成功する見込みはなかったし、遊んで暮らせる身分でもなかった。だが高校を卒業する直前にやりすぎて死にそうになり、それでドラッグはすっかり懲りた。」

 彼はその後短大に進んだが、一年で中退した。科学者になりたかったが。素質はあったにもかかわらず勉強に集中できなかったのだ。知能指数は高かったのだが、何かに挑戦するとなると、とたんに腰くだけになるのである。その時までにはそのパターンがすでに身についてしまっていた。

 社会に出てからは、どんな仕事をしてもいつも上司に対して反抗的になった。それは、やはり子供の時に身についたパターンをくり返していたのに他ならない。いくつもの職を転々とした後、最近ようやく気に入った仕事を見つけることができた。だがそこで、また上司と問題を起こしそうになり、心配になってカウンセリングを受けに来たのだ。

 彼がいつも上司に対して反抗的になるのは、すでに会わなくなって久しい義父にあいかわらず心を支配され、「こき下ろしの言葉」が頭のなかでくり返し鳴り響いていたからである。その結果、彼が陥っていたのは、「完全主義」、「ぐずぐずする癖」、「金縛り」の三つであった。

 「いまの仕事はとても気に入っているが、完璧にはやりおおせないのではないかという恐れをいつも抱いている。そのため、しなくてはいけないことをぐずぐずして、期限を過ぎるまで引きのばしたり、ぎりぎりになってからあわててやって結局失敗するということをくり返している。すると今度は、失敗するたびにクビになるのではという不安が頭をもたげる。そこで上司が何かを言うと、非難されているように感じて過剰に反応したり反発したりする。最近、仕事が遅れていて、ついに仮病を使って休んでしまった……。」

 義父によって植えつけられた完全主義は、「うまくできなかったらどうしよう」という恐れを生み、そのために彼はとかくぐずぐずして何でも延期する癖がついてしまっていた。だが、しなければならないことは後回しにすればするほどたまっていき、ますます圧迫されるという悪循環に陥る。こうして不安感は雪だるま式に膨らんでいき、すると今度はまったく何も手につかない状態になってしまう。つまりこれが「金縛り」である。

 彼は私のアドバイスを受け入れ、仕事の妨げとなっている自分の個人的な問題について上司と正直に話し合い、療養のための休暇を申し入れた。雇用者側は理解を示して二か月間の病欠を認めてくれた。もちろん、二か月で心の問題をすべて解決することは不可能だが、カウンセリングを効果的なものにするには大いに役立った。彼はその二か月の間に自分の抱えている性格的な問題を正面から直視し、原因を理解することができるようになった。そして仕事に復帰してからは、上司と衝突することがあっても、それは仕事の上で実際に問題があってのことなのか、それとも自分の内面の傷が衝突を引き起こしているのか、という違いが区別できるようになった。彼はその後もさらに八か月間のセラピーを続ける必要があったが、職場ではみんなから別人になったようだと言われるまでになったという。

 成功と反逆

 完全主義の親の過剰な要求に悩まされる子供は、普通二通りの道をたどる。親の承認と称賛を得るために必死で頑張るか、親の望む通りにしないように反逆するかである。

 前者の場合、子供は常にだれかに点をつけられているかのように感じており、何をしても十分やったという充足感を味わうことができない。まして、ちょっとでも間違えるとパニックに襲われてしまう。

 後者の場合、“成功する‘ことはまるで親の圧力に屈することであるかのような気がするため、反発して無意識のうちにいつもそれとは反対のことをしてしまう。その結果は、いくらそうなりたくはないと言っていても、知らない間に失敗と敗北の人生を生きることになってしまう。いま例にあげた青年はこのパターンだった。

 そのどちらにせよ、頭のなかで鳴り続ける親の声を消し去らない限り、状況が変わることはない。

 呪縛となる親の言葉

 最後に、親の残酷な言葉が子供にもたらした極端なひどい例を紹介しておこう。その人物は、数年前に私がカウンセラーをしていた病院に入院していた四十二歳になるロサンゼルス市警の現職警察官である。この警官は、自殺の危険性があるとして入院を命じられていた。

 彼は自分の身の安全ということをまったく考えず、不必要で危険すぎる捜査ばかりひとりで行っていた。そして入院を命じられる少し前には、応援を呼ばずにひとりだけで危険なドラッグ密売人の手入れを行い、命を落としそうになったのだという。その行動を表面的に見れば、勇敢で英雄的なものに見えるかもしれないが、実は無謀で無責任なものでしかない。その後、市警内部で、彼は職務を利用して自殺したかったのだという噂が流れ始めた。

 グループでのカウンセリングを始めてしばらくして、彼が子供時代に異常な母親の言動に苦しめられていたことがわかった。

 「父は母の異常なヒステリーに耐えかね、私か二歳の時に家を出て行ってしまった。母は私に対しても激しいかんしゃくを爆発させ、それはひとたび始まると何時間も終わらなかった。育つにつれ私が父親の面影に似てくると、母の怒りはますますひどくなった。母はよく『お前はあのろくでなしの親父にそっくりだ』と言い、ある時などは『親父と一緒に死んでしまえ』とまで言った。その後、母親に殺されてしまうかもしれないと心配した近所の人が私を施設に入れようとしたが、実現しなかった。大人になってからは、子供時代のことなどどうということはないと思っていたが、いまでは母が自分をいかに憎んでいたかを考えるたびに心の凍る思いがする。」

 彼の母は、彼が幼いころから非常に明確なメッセージを送っていたのである。それは、「私はお前がいらない」というものだったのだ。父親も家を出て行った時に幼い彼を救おうとしなかった。こうして彼は警察官になってから、子供の時から母が望んでいたことを無意識のうちに実行しようとしていたのである。

 この例でよくあらわれているように、親の非情な言葉は子供をひどく傷つけるばかりでなく、魔力をもった呪文となることがある。実は、彼のような形の自殺願望は、こういう親を持った子供には比較的よくあるのである。そのような子供にとっては、文字どおり「毒物のような親」との過去の心の結びつきを清算できるかどうかは、まさに生きるか死ぬかの問題であるといえる。

 親の言葉は“内面化″する

 友人や教師や兄弟姉妹その他からけなされても傷つくことに違いはないが、子供がもっとも傷つくのは親の言葉だ。つまるところ、小さい子供にとって親というのは世界の中心なのである。全能のはずの親が自分のことを悪いと言っているのなら、「自分は悪いのに違いない」と潜在意識は感じる。もし母親がいつも「お前はバカだ」と言い続けているなら、私はバカなのだろう。もし父親がいつも「お前は無能だ」と言っているのなら、私は能のない人間なのに違いない、等々。小さな子供には、親によるそのような評価に疑いを投げかけるようなことはできない。

 人間の脳は、人から言われた言葉をそのまま受け入れ、それをそっくり無意識のなかに埋め込んでしまう性質がある。これを「内面化」といい、ポジティブな概念もネガティブな言葉や評価も同じように無意識のなかに収納される。するとつぎに、人から言われた「お前は○○だ」という言葉が、自分の内部で「私は○○だ」という自分の言葉に変換されるのである。これは子供においては特に顕著で、親のけなしやののしりの言葉は心の奥に埋め込まれ、それが自分の言葉となって、低い自己評価や人間としての自信のなさのもとを形作ってしまう。

 このように、親の言葉による虐待は、子供がポジティブな自己像(自分には愛情があり、人からも愛され、人間として価値があり、能力もあるというイメージ)を持つ能力をはなはだしく損なうばかりではなく、将来どのようにして世の中とうまくつき合っていけるかということについてもネガティブな像を作り上げてしまうのである。 このようにして内面化され、自分で自分を苦しめるもとになっているネガティブな自己像を、再び表面に引き出すことによって打ち破っていく方法については、第二部で細かく述べたいと思う。


引用おしまい。

管理人メモ:
侮辱的な言葉がどのような影響力を持つかについては左メニューの自己評価に関連する記事も参考になります。私は次のような推論が成り立つのではないかと考えています。

子どもをコントロールする手段として侮辱的な言葉を使う → 過去の親子関係と似た状況に遭遇すると反抗心が沸き上がる → 社会生活が困難になる → ひきこもりリスクが高まる。

勝ち負けにこだわる親は子どもを恥ずかしめることによって、弱い立場のまま押さえつけておこうとする → 子どもの自己評価 (自尊心・自己効力感・自己肯定感のすべて)が低くなる → ひきこもりリスクが高まる。


続いて他の毒になる親の事例を見ていくことができますが、ここから先は過去に当事者の子供であった人にとっては、読むことにより当時の記憶や感情が蘇り、精神が不安定になることがあります。充分にご注意ください。

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 性的虐待、体罰、言葉による暴力で脳が萎縮


スーザン・フォワードの著書「毒になる親」の13章には親と対決する方法が載っています。親に直接会うか、手紙を書いて、親が過去にしたことと、それが自分に与えた影響を洗いざらい話し、トラウマを原因となった親に返すのです。

もしあなたが、それをやるつもりであるならば、「毒になる親」と合わせて「論理的思考力とは? 論理的な討論・議論・ディベート・ディスカッション」というサイトを読むことをオススメします。頭のなかを整理するのに役立つはずです。


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