社畜を再生産する「父親不在」家庭

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筑紫哲也×C・W・ニコル×宮本政於
『他人の問題 自分の問題』より

責任とはリスクを負って行動すること

ニコル 筑紫さんのいうこと、本当にそのとおりだと思うな。九五年から僕は環境関係の専門学校で副校長を引き受けることになりまして、実際にレインジャー養成コースでフィールドワークの講座を受け持っているんですが、そこでは学生たち全員にナイフとナタを持たせて山へ連れて行くんです。ときには斧もチェーンソーも使わせたりするんですが、これに反対する人がいるんです。ナイフも斧もチェーンソーも使いこなせないレインジャーなんて考えられないでしょう。

でも、「事故が起こったら、いったい誰が責任をとるのか」というんです。「自分の責任です」と僕がいうと、「いや、学校の責任になるのではないか」という人がいる。たとえばナタだったら、こういうふうに使うと刃が滑って危険だよ、と僕はちゃんと教えます。もし、それを教えずに持たせたり使わせたりしたら、こちらの責任だと思います。でも、きちんと時間をかけて「十分に注意して、このように使いなさい」と教えてから持たせているんだもの、それで怪我をしたら、それは自分の責任ですよ。もちろん、自分の責任だから学校は知らんぷりするということではありません。ただ、僕は一番の責任が誰にあるのかということをいっているんです。

それに役所の規制がものすごくあるんです。山の中で焚火をしちゃいけない、野宿はしちゃいけない、あれをしちゃいけない、これをしちゃいけないって。カヌーイストの野田知佑さんがいつもいっているんですが、カナダの大きな川で川下りをすると、途中でマウンテンポリスやコーストガードに出会う。すると、彼らは「どこへ行くんですか?」とか「どの辺に行くと流れが速くなるから十分注意してください」とアドバイスはしてくれるけど、「行ってはいけません」なんて決していわないそうです。

宮本 心理学の観点から「責任」という概念を分析してみると、親への依存心、また親から独立しようとする独立心と深い関わりがあることがわかります。もちろん例外はありますが、依存心が強ければ強いほど責任感は弱く、また独立心が強ければ強いほどその人の責任感は強い、といっていいと思います。

責任とは一種の行動をとることです。そこで責任をとるとらないを行動科学の一環としてとらえてみると、もうひとつの側面が見えてきます。それは傷つきやすさとの関連です。人間の心は傷つきやすいものです。そして傷つきたくないと思うのは人情です。責任をとることは、新しい局面の展開を意味します。ただ、この決定が必ずしもよい結果を招くとは限りません。悪い結果もある。すなわち責任とはリスクを負うことです。よい結果を導くことができなければ、非難される可能性は大きくなり、非難は心に傷を与えます。

そこで自分の心が傷つかないようにする最大の防御策は何かと考えると、責任をとらないようにすることです。すなわち、多くの官僚に見られるように、責任を負わないようにするという対応は、傷つきやすい自分を守る、という自己防御でもあるわけです。

そこで独立心に戻りますが、独立心は傷つきやすい自分を傷つきにくい自分へと、人間の心の質を変化させる機能があります。独立心が育つということは、依存心が減少することでもあり、傷つきやすさも比例して減少するわけです。すなわち独立心が育つということは、面子にこだわらずに対応できることにもなり、このような心の成長過程を総称して「個の確立」というんです。

ところで、自分に明らかに責任がないのに自ら進んで組織のために犠牲になる、という態度が責任感の強さみたいに思われている部分もありますが、これは責任をとらないという対応の裏返しです。傷口から血が流れ出て、状態が悪化することがわかっていても、それでも行動をとろうというのはマゾヒズムの世界に入り込んでしまっているわけで、「個の確立」に由来した責任感とは質が違います。

このように責任感や独立心は、人間の心を守るためにとても重要な機能を持っているわけです。人間の体はウイルスに感染しても、免疫機能が働いて撃退してしまいます。人間の心も同様に、外からのストレスに対抗できるように心の抵抗力をつくります。そして心を強くする一番の方法は「個の確立」に代表される独立心を養い鍛えることです。ただ、心の抵抗力、すなわち独立心を養うには周囲の協力が必要となります。親や社会ができるだけ子どもを独り立ちさせるように努めることです。

そこでもう一度、日本社会を見ると、そういった意識が強いとは思えません。筑紫さんが指摘した「お忘れ物のないように」に代表される、大人を子ども扱いするサービスを六〇パーセントくらいの国民が望んでいるという事実は、その証拠でしょう。会社の人間関係を見ても「甘え」という、親子関係の変形が上下関係に入り込み、独立心は疎んじられています。

独立心が育つということは、深層心理の中の親からの独立を意味し、自己主張する能力も育ちます。でも集団組織では、このような独立心の強い人間を「一匹狼」と呼んで敬遠します。見方を変えれば、日本の官僚制度は、国民の独立心が育たないように国民を指導しているといってもいいでしょう。独立心が育たなければ依存心は強いままで、「お上」には甘えっぱなしの国民となり、官僚制度はまさに安泰となるわけです。

国民は支配される羊か

筑紫 僕がワシントンで特派員をやっているころ、ちょうどアメリカで無修正のポルノが解禁になっていったんです。日本の大使館には法務省からもエリートの大使館長が出向してきていますから、あるとき僕は「何でこんなものが日本では駄目なのか」ときいてみたら、「私は見てもいいけど、日本の国民にこんなものを開放しちゃったら、彼らはどこまで野放図に怠けちゃうかしれない。だから日本では絶対にポルノはいけない」というわけです。

なにもこれはポルノだけじゃなくて、入国管理法も麻薬に対する法規制も全部その思考に基づいているわけで、その発想で彼ら役人は民を守ろうとしている。考えてみると、「この国にそういうものを許して、それこそ楽しむことをあんまり教えたら、この連中はどこに行ってしまうかわからない」という考え方は、要するに護民官、牧民官の思考なんですね。牧民官というのは、愚かな羊を犬を使って迷わないようにするという思考なんです。彼らは自分なりに民を守っているつもりでいるけれども、それは基本の思想のところで民主主義的な守り方ではないんですよ。羊を守っているのと同じわけですから。では、そこからどうすればいいのかといえば、羊が羊でなくなること以外にないんですね。

宮本 「国民を守るのがわれわれの役目だ」と思っている官僚が多いのは、霞が関で勤務をしていたときの経験からも知っています。ただこの立場には隠れた部分があるように思えるんです。それは何かというと「支配欲」だと思うんです。官僚にとって、羊のようにおとなしく従順で、しかも独立心がなく、「お上」と官僚を崇めてくれる国民であれば、官僚はいつまでも権限を握ることができます。すなわち「国民を守るのが…」というコメントは、自分たちの権限を失いたくないということでもあるんです。善意の仮面をとりのぞくと、官僚の本質が見えてきます。

「兄妹型」か「姉と弟」か

筑紫 もうひとつ、宮本さんのご専門のほうでききたいんですが、日本では平均的な夫婦というのは年齢差が四歳ぐらいなんですね。このくらいの年齢差の夫婦の場合、セックスの関係というのが希薄になっていくと、兄と妹の関係に近くなっていくのではないですか。これまでの日本の夫婦というのは、いわば兄妹型の関係だったともいえませんか。

ところがこの関係が、さっきの「男が頼りない」という現状を反映して、非常に維持しにくくなってきた。つまり、どう考えても兄に見えないわけです。ですから、新婚旅行のツアーコンダクターをやった人に話をきくと、旅行中にいちばんうまくいく新婚カップルは、新郎が旅行中の行動のイニシアティブを新婦に任せ、新婦が自由にやっている人たちなんだそうです。こういうカップルは割合とトラブルなしで帰ってこられる。それに対して新郎がイニシアティブをとろうとして思うようにいかず、その結果として新婦からプライドを傷つけられたと思ってしまうと、徐々にゴタゴタしてくる。で、最悪のケースは成田離婚になってしまう。

そうすると、いまの日本の男性や女性たちを見ていると、あるいは夫婦は「兄と妹」ではなく、「姉と弟」の関係になったほうがうまくいくんじゃないかとも思えてくるわけです。精神構造や年齢も、できれば逆転させてしまったほうがうまくいくのかもしれない。

プロ野球にもたくさんありますね。活躍した選手を見てみると、落合(博満)なんかがいい例だけど、だいたい姉さん女房なんです。江川(卓)もそうだしね。そういう関係のほうが、むしろ男は安定するんじゃないかとすら思えるわけです。

とにかく男女が夫婦として、末永く暮らすということはすごくむずかしいことですが、離婚率が高い西洋の夫婦を見ていると、夫の努力は涙ぐましく感じられることもある。アメリカなんかだと、やはり月に一回くらいは夫婦でレストランで食事しなきゃいけないというのがありますから、それらしきカップルをよく見かけますが、明らかに義務感でやっているなというのがわかる夫婦がある。会話も乏しくて、しょうがないから飯を食っているという感じの夫婦がけっこういますよ。男がやっているジェスチャーからそんなものが感じられる。

ニコル 嫌だな、俺は(笑)。

筑紫 そういう人は結婚しないことだね、本当は。

宮本 「姉と弟」の関係となると結婚がうまくいくということですが、現在の家庭環境を考えてみるとそれはそのとおりだなと思いますね。なにしろ近ごろは、多くの若者が実質的には"母子家庭"で育ってきたと考えていいでしょう。あの敗戦からの復興は「滅私」という、個人の生活を犠牲にした価値観の中で築いてきました。この発想はたしかに日本株式会社という組織体の繁栄には貢献したでしょう。

でも、組織体の繁栄には大きな代償が伴っています。それは個人の生活が犠牲になったということです。この「滅私」の思想は家庭の中にも大きな影響をもたらしました。それが「父親不在」です。仕事から帰ってきても夜の一一時とか一二時。朝にちらっと顔を合わす程度で、子どもと父親とのコミュニケーションはないに等しい。このような家庭環境ができ上がってしまったことは、社会的に大きな問題だと思うんです。結局、「滅私」の思想は日本に従来あった母子関係を大切にするという考え方をさらに増幅させることとなり、男の子は依存心の強いまま大人になっていく。

このように母親離れができていない男性にとって、姉さん的な妻のほうがいいわけです。お姉さんといえば面倒を見てくれる、という意味合いがあります。そこにお母さんとの共通項を見出すことができる。だから依存心の強い男性がお姉さん的な女性を好んでもおかしくない。これは無意識的に母親を求めているからでもあるわけです。

さらに誤解のないようにつけ加えておくと、人間とは千差万別で、依存心が強い男性がいることを決して悪いといっているのではありません。ただ、「滅私」がまかり通る日本的集団主義によって、これまで以上に依存心の強い人たちをつくり出す結果を招いている。そのような現状は問題ではないだろうか、そういいたいだけなんです。
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★社畜
→父親不在家庭→母子密着→独立心の未発達な子→傷つきやすく自己主張ができない→組織や周囲に一体感を求める→次の世代の社畜

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