「家庭を守るために働いている」は幻想

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筑紫哲也×C・W・ニコル×宮本政於
『他人の問題 自分の問題』より

家庭人でも市民でもない「兵士」

筑紫 管理職ということでいえば、日本は「兵」はすごく優秀なんだけど、「将」がすごくお粗末なんですよ。おっしゃるとおりで、日本の社会にはろくでもない管理職が多い。なのにそういう人たちが将になっていくということは、「将は優れているべきである」ということを要求しない社会を私たちがつくってきたということなんですね。あるいはそういう組織をつくってきたということがいちばん問題なんです。

ところがこれからの社会は、もちろん将の在り方は問題になりますが、兵そのものの在り方も大いに問われることになる。将にも人生があり、兵にもそれぞれ人生があるわけですから。

評論家の佐高信さんの本だったと思うけど、ある日本人の駐在員がベルギーで向こうの財界人と飯を食っていたら、こんなことをいわれたそうです。「日本のオフィスには夜中でもあかあかと電灯がついていて皆せっせと働いています。ヨーロッパに住んでいる人間は、人間として三つのことをやらなくてはいけません。ひとつは仕事をすること。もうひとつは家庭人として家庭を大切にすること。そして残りが市民として社会に貢献すること。ところが残りのふたつをやらないで、自分の仕事にだけ専念している人たちがヨーロッパの社会の中にもいる。それは警官と囚人と兵士。だけど日本人であるあなたは警官でもないし、刑務所に入っているわけでもない。答えはひとつ、あなたたちは兵士なんです。つまり家庭人や市民といった義務が全部免除されている優秀な兵士なんですね」 なかなかの皮肉でしょう(笑)。佐高信さんがこのごろ盛んに使っている「社畜」ということばはご存じですか?

宮本 ええ、私は「社畜」になることを拒否したために、神戸検疫所に。"検疫"されてしまったんですから、痛いほどよくわかっています(笑)。

ニコル 「家畜」ならわかるけど、「社」というのは「会社」の「社」なの? ああ、何となくイメージが湧いてきた(笑)。

筑紫 この「社畜」ということばなんだけど、当のサラリーマンにはものすごく評判が悪いんですよ。佐高さんの言っていることはわかるけれども、社畜ということばは非常に納得がいかない、と怒りを表す人たちが多い。俺たちはブロイラーじゃないんだ、と不愉快になるんでしょうね(笑)。

そういう彼らに「どうして頭にくるんですか?」と具体的にきいてみると、「私は家庭を守るために働いているんだ」という答えがけっこう返ってくるんです。さっきの「優秀な兵士」という話でいえば、市民というレベルは全然満たしていないし、「家庭人」としても実際は奉仕する時間が少なくて駄目かもしれないけれども、意識の中では「家庭」というものが働くことの支えとしてかなりのウエートを占めているようなんです。

宮本 私はそういった「家庭を大切に」というのは一種の幻想だと見ています。というのも、日本社会の実態は家庭を大切にしているような環境ではないからです。正常な人間なら誰だって家庭を大切にしたいと思いますが、日本のサラリーマンは企業という組織に隷属させられて、「家庭を大切に」という人間としての基本すら求めることができないのが現実です。

そして、こんな状態は嫌だなと思い、そこから逃げだしたいと思っても、そうできないようになっているのが日本的集団社会です。だからこそ「家庭を大切にしている」という幻想が必要になるのです。少なくとも、そう思うことが、どうしようもできない現実から自分を逃避させられるからです。

ところが「社畜」ということばは冷酷なぐらいに正確に現実を指摘していて、「家庭を大切にしたい」という幻想は簡単に打ち砕かれてしまうんです。日本人だけではなく誰でも、幻想を壊されると、多くの人は失望と落胆を経験します。その結果、怒りが生まれます。彼らが「社畜」といわれて怒るのは、幻想を壊されたせいです。怒りは、「滅私」をしている嫌な現実を見たくないといった悲鳴でもあるんです。

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