社畜が「無駄な会議」を好む理由

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筑紫哲也×C・W・ニコル×宮本政於
『他人の問題 自分の問題』より

宮本 ダラダラと結論の出ない会議で時間を浪費するくらいなら、やらなければいいんですよね。たぶんそうなってしまうひとつの原因は、日本人の中にディベートの仕方が身についていないせいもあるんでしょうけれども、そういうふうにいうと「日本人は論理よりも和を大切にするので、闘争的なディベートは苦手だ」という人がいるんです。でもそれは、要するにディベートをしないような形でもって全体の意思を決定する方法ばかり教え込まれるものだから、ディベートをする能力が育たないだけなんですよね。日本人はディベートが苦手とかできないとか、そういう個人の資質に還元した問題ではなくて、「ディベートは避けるべきだ」という教育の問題なんです。ディベートができないような環境が築かれているだけにすぎないと思うんです。

でも、けっこうきちんとディべートのできる人が役所の中にもいるんです。でも、そういう人たちは組織の中で自分の立場を守らなければならないから、できるだけ論争を生むようなことはいわないようにして会議につき合っているわけです。あるとき上司から。「役所というのは無駄の積み重ねの上に成り立っているんだ。お前みたいに、無駄だ無駄だといっていたら、会議なんかいらなくなってしまう。会議を開くことによって皆が集まる、これが大切なんだ」と、いわれたんです。何のことはない、彼らは会議のために会議をやっているんです。

では、結論が出ない会議がなぜ必要なのかというと、一体感を保つためです。日本的集団主義を維持するためには一体感を保っている必要があるんです。そこで、どうでもいい打ち合わせとか会議が必要となるんです。ですから無駄な会議とは日本的集団社会を維持するという意味合いもあるわけです。

日本でディベートが根づかないのもそのせいです。ディベートは現実を直視させます。そして一体感は現実を直視すると消え去ってしまいます。だからディベートは日本的集団主義には天敵みたいな存在なんですね。

議論を避ける日本人

ニコル
 英語圈、とくにイングランドではいい学校に行きますと、ディベートは訓練させられますね。昔僕がおじいさんにいわれたのは、「人の悪口を絶対いうな。褒めることができなければ黙れ」ということでした。議論の中に、感情を入れちゃいけない。感情を入れちゃうと負けますよね。日本に最初に来る前に、一九ヵ月間、北極探検に行っていたんです。そこで何の遊びがあるかといったら、議論ですよね。食べ物はたいしたことないから、皆で議論を楽しんだ。でもさて日本の友達ができて議論しようとしたら、すぐにけんかになっちゃうんです。議論がなかなかできない。

カナダで環境庁の緊急対策技官をやっていたときには、月に一回役所から議論のやり方を訓練させられていましたね。環境問題に一般の市民がとても大きな関心を持っているでしょう。だから、いつどこで討論に巻き込まれるかわからない。また、裁判の証人として出廷させられる可能性だって常にあるんです。そこで、毎月一回疑似裁判のようなものが開かれて、さまざまなケースについてディベートがくり返されるんです。そんな具合に皆訓練されているから、役所内部の会議でも非常に要点を衡いた議論が短時間のうちに行われて、ダラダラといつまでもということはほとんどありませんでした。

宮本 僕もアメリカに一一年住んでいましたし、つき合っている女性もアメリカ人です。このような環境がディベートをできる土台をつくってくれたともいえます。感情的にならずに議論を進めるのは、慣れだと思います。昔を思い出してみると、初めのうちは、やはり相手が自分の意見をはっきりいってくると、僕のほうがカッとなったりすることもあったんですが、だんだん感情に流されずに議論ができるようになってきました。

ニコルさんがいった「日本人の友達とディベートをすると、相手はすぐにカッとなる」というのは、よくわかります。僕も日本に帰ってきてから、そういう体験がかなりありました。そして日本人にもディベートのトレーニングが必要なのだと痛感しているんです。これが日本社会に根づくかどうかで、今後、日本がどれだけ国際社会の本当の一員となれるかの指標となるのではないかと思うほどです。

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お勧めサイト:中学生からの論理的な議論の仕方(外部リンク)

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