「独立心」を摘み取り「恥」を植え付ける

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宮本政於『官僚の官僚による官僚のための日本!?』より

日本人に限らず人間一般に言えることですが、衝動は二つのレベルで制御されます。一つは内的なもの、すなわち、個人がみずから自己の衝動を制御する部分。もう一つは、外部からの圧力によって自分の衝動を制御する部分です。他人の目を気にすることにより、自分の行動を決定するのはその典型です。また、定められた枠組みに自分を入れることも、やはり外部から自分の衝動の制御をしていると言ってよいのです。

日本人は「恥」の意識で心をコントロールしている

よく日本人は「恥」の概念により行動形態が決定されると言われていますが、この「恥」の概念こそ、外部からの影響力により自分の衝動を制御する、その象徴だと思っていただいて結構です。衝動のコントロールについて欧米と日本を比較してみましょう。

欧米では「独立心」を育てることを重視します。えっ、衝動と独立心とどうして関係があるの? そう思う人もいるかもしれません。この両者がどのような相関関係にあるのかを説明しましょう。「独立心」が養われるということは、深層心理の中で親に対する依存心が軽減され、親と子どもが一人の人間として平等な存在となることを意味します。「独立心」が養われると、衝動に対するコントロールも自分の中で育つようになるのです。これを精神分析では、衝動の中和作用と呼びます。ですから、「独立心」が育つということは、その個人が内側から自分の衝動をコントロールできるようになることだと考えてもかまいません。

私のこれまでの経験から判断すると、欧米社会では「独立心」が育つことをたいへん重視していると思います。例外はあったとしても、多くの人々はみずからの衝動をコントロールできるようになるわけです。だからこそ、イエスとノーもはっきりと言えるのではないでしょうか。

それでは日本ではどうかと言うと、文部省の教育の根底に「個人の才能はできるだけ摘むようにする」という基本があります。出る杭は打ってかまわないのです。独立心は出る杭でもあるのです。このような環境下では、独立心が育たないのは当然であることが、ご理解いただけると思います。

日本は平等社会だと言う人が結構います。しかし、それは能力の平等化、所得の平等化であって、けっして人間の平等化ではありません。日本は格式を重んじる、厳然とした上下関係を重視した社会です。東大名誉教授の中根千枝氏はそれを「タテ社会」と呼んでいます。個人はその上下関係のどこに属するかを敏感に感じとらなければなりません。一種の軍隊社会と考えてもよいと思います。

しかも、この上下関係の中では、独立心とは対極にある依存心に立脚した人間関係をいとなむ必要があります。上司を母親のような存在と見て、依存する姿勢をとる必要があるのです。それを見た上司は「可愛い奴だ」とひいきにしてくれます。

従順であり服従する態度で接することができることが、日本的な平等の基本である、といってよいでしょう。ところが、「独立心」が育ってしまうと、どうなるでしょう。上司に従順で服従する姿勢は薄れてしまいます。たとえそれが上司であっても、おかしいことはおかしい、そう言うようになるのが「独立心」でしょう。すなわち、「独立心」は日本的ムラ組織の基本構造を壊してしまうのです。

文部省では、独創性とか創造性を摘み「独立心」が育たないような教育を、学校という現場を通して行っているのです。

このような教育が行われていれば当然のことながら、衝動のコントロールを自己の内面から行うことはむずかしくなります。しかし、衝動のコントロールがうまく行かなければ社会は円滑に機能しなくなってしまいます。そこで重視されるのが「恥」の概念なのです。「恥」が重視されれば、他人の目を気にすることになり、結果として自分の衝動をコントロールできるわけです。

欧米社会でも「恥」の概念がある程度存在していることは事実でしょう。でも、日本ほどではありませんし、「独立心」が育っていれば自分自身で自分の衝動をコントロールできるわけで、それほど「恥」という外からの圧力に頼る必要もないのです。

官僚組織が「独立心」を打ち砕いている

どうして日本ではこれほどまわりを意識して自分の衝動をコントロールするようになったのでしょう。その答えは、日本的ムラ組織、その代表が官僚組織なのですが、そこに見いだすことができます。

官僚組織は日本人に独立心が芽生えることを嫌います。なぜなら、独立心が育ってしまえば「個の確立」をうながすことになり、国民は個人として独立した行動をとるようになります。これは他人と自分は異なった存在である、という現実を直視することにもなります。「独立心」が育てば衝動をコントロールできるようになり、イエスとノーもはっきり言えるようになります。自分の意見を主張できるようになるのです。こうした人間が育ってしまうと日本的集団としての調和が乱されることになります。前にも言いましたが、日本的集団社会が信奉している調和は「日本人ならみんな同じ」という幻想にその基本をおいています。そして、「独立心」は幻想を打ち砕いてしまうのです。こうした幻想をかたくなにまでこれまで守りとおしてきたのが官僚でもあるわけです。

官僚は過去四〇〇年間、日本国家という組織体を変化させることなく守りつづけてきました。そんなことはない。日本はこの一〇〇年の間で大きく変化したではないか、そう言う人もいるでしょう。でも、そういった評価を日本社会に下すということは、日本社会の本質を理解していないことの証明でもあるのです。日本はたしかにうわべだけは変わることができました。でも、その本質は江戸時代とたいして変わっていないのです。これまで日本を支配してきた層は、国民は国家という組織体の歯車であれ、という論理を重視してきました。こうした概念を中心として成り立った国家は、民主主義とか自由主義という近代国家の理念とはかけはなれたところで動いているのです。

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★「独立心」は内的なコントロールである。
★「恥」は外的なコントロールである。
★「独立心」が育っている人は、衝動を抑制でき、「イエス・ノー」もはっきり言える。
★「恥」の意識が強い人は、衝動は抑制できるが、「イエス・ノー」をはっきり言うことができない。
★管理的集団主義下では人々から「独立心」の芽が摘まれ、「恥」が植え付けられる。



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