社畜を製造する「精神主義」教育

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宮本政於『お役所の御法度』より

「暑さに耐えてこそ教育になる」

一九九四年の夏の暑さとエアコン騒動のおかげで、私は室温に対して神経をとがらせるようになった。だからだろう、猛暑が始まった七月のはじめのころ、大阪市内にある公立の中学校を訪れたとき、私のセンサーが作動した。その学校に着いたのは、もう六時もまわっていた。だが、昼間の熱気は夜になってもいっこうに去る様子はない。部屋に入ると、ムツとした暑さが追ってくる。たまたまエアコンが入っていない部屋に通されたか、それでも故障でもしているのかと思い、まわりを見回してみたが、エアコンは見あたらない。私を案内した先生は、「暑くてすみません。エアコンは入っていないのです」と現実を教えてくれる。

そこで、検疫所での経験談を披露すると、「七月からエアコンが入る検疫所はラッキーです。我々は基本的に汗水流して教育現場に立っているわけで、肉体労働者と変わらないのです」とグチが出る。「この暑さでは、うだってしまって勉強をしようという気力もなくなってしまいませんか」ときいてみると、「ところが、多くの先生はそう思っていないのです。『このような暑さに耐えて勉強をすることこそが、人間性を養う』と考えている人も多いのです。その証拠に、この暑さを押して、生徒は定期試験を受けなければならないのです。私の受け持った教室はたまたま日陰に面しているので、まだなんとかしのげました。ところが同僚の教室は日当たりがよく、それでなくとも暑いのですが、試験日に担任は、『答案用紙が風で飛ぶといけないから窓を閉めなさい』という指示を出したのです。たまたま風が強かったという気象条件もあったのですが」との返事であった。

「それではサウナで試験を受けなさいというようなものですね」と感想を述べると、「そうなんです。ふたりほど保健室にかつぎ込まれました」いかに暑さを我慢することが体調に支障をきたしたかを教えてくれる。「三五度近くもあるのに『窓を閉めなさい』という指示は、ちょっと非常識ですね。これだけ室温が上がれば、『今日は暑いからエアコンの入った教室で試験を受けましょう』とか『多少は涼しくなる夕方から試験を行います。それまでは家で休んでいなさい』と言うべきではないでしょうか」こう意見を述べると、「そんなこと、公立の学校の教師が言うはずがありません。校長の言葉を借りれば『甘ったれた精神を鍛える』ためです。だから暑ければ暑いほど鍛錬になるのです」

なるほど、中学校では学問を教える前に、精神論が優先しているようなのだ。「それでは戦前の軍隊と変わらず、とても民主国家の教育とは思えませんね。それに経済大国であれば、暑ければ、涼しい快適な環境で仕事ができるようになって当然で、教育現場を見ると、とても先進国とは言えませんね」すると、「ところが、四〇過ぎた先生たちの多くは、みんなで一緒に、暑い暑いと汗をかくことが、日本の経済発展の原動力だと思っているのです。そしてこうした体験こそが一体感を強める。だから暑さを我慢しながら試験の問題を解くことにもなるのです。まだまだ戦前の発想から抜け出ていないのです」

官僚制度は心中の美学!?

戦前の発想から抜け出ていないのは、検疫所の上司だけかと思っていたら、どうやら教育の現場でも同じことが言えるようなのだ。教育に携わる人間が、「暑さを我慢する精神が大切だ」などという精神主義をいまだに振りかざしているようでは、日本が本当に先進諸国の一員となれるのは、いったいいつのことだろうと思ってしまう。

そう考えていたら、サウナのような環境下で、生徒に試験を受けさせた教員も、職場で快適さを求めようとした私を叱りつけた検疫所の上司も、どちらも官僚制度に属しているということに気がついた。どうやら組織の一員となってしまうと、人間的な生活を送りたいという意志はどこかに消え去ってしまい、犠牲の精神だけが前面に出て、それをみんなに求めるようになってしまうのだ。心中の心理の強要なのだ。

だが、もう一歩踏み込んで彼らの行動を分析していくと、「本当は快適さを求めたい」という本音に突き当たる。だが、制度がそうした願望を抑え込む。このように、本音と建て前の乖離を調べてみると、官僚は本音を語ることを許されない官僚制度という組織体の最大の犠牲者であることがわかる。だが、いったん制度に隷属してしまうと、そうした現実は見えてこない。それどころか、犠牲の精神にとりつかれてしまうと、国民にも犠牲の精神の尊さを説いてくる。国民も道連れにしてしまえとなるわけだ。

日本では、自殺が心中へと発展し、それが美学という形態に変遷を遂げた過去がある。このような美意識は、犠牲を尊ぶという精神主義と、その根底を共有する。そして、官僚制度は、この心中の美学を共有することこそが、日本人としてのアイデンティティーなのだと国民に教育する。その結果、官僚も国民もみんな平等に犠牲となる。このような、徹底した平等教育が施された先進国は、日本だけである。

しかし、犠牲の精神をよしとすることが、本当に国民の生活の質の向上につながるのか、また国際国家の一員としてリーダーシップを取るにあたり、共感を持ってもらえるのだろうか、そのあたりを見きわめる必要があるのではないか。エアコンのスイッチをオンにする、ただ指先を一センチほど動かすだけの話が、お役所のムダ、危機管理、リーダーシップの欠如、責任の所在のあり方、情報公開すなわち国民の知る権利という問題意識を提起してくれて、しかも第二次世界大戦の遺物とされている精神主義がいまだに教育の現場では幅を利かせている、という現実まで教えてくれた。エアコンひとつにこれだけの奥の深さがあるとは夢にも思っていなかった私だが、神戸検疫所への異動がなければわからなかったわけで、厚生省にはありがとうと言うべきなのだろう。

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