個人主義に関する誤解

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カレル・ヴァン・ウォルフレン
『なぜ日本人は日本を愛せないのか』より

日本の集団と個人との関係について、いまも多くのことが語られ、また書かれつづけているが、そのなかでは、他国と比較して、日本では集団の重要性が、個人のそれに優っているかのように言われている。この間違った考えが、多くの誤解を生じさせている。その誤解の一つに、日本では、人が個人として成長するための社会的な機会が、他国にくらべて少ない、というものがある。また一つに、社会的集団活動への気遣いが多い人ほど、利己的でなく、社会的関心が高い、という思想がある。いずれの幻想も、単純に過ぎ、適切ではない一つの図式を前提にしている—つまり、個人と集団との関係では、一方が多ければ他方はその分少なくなる、という図式である。あたかも人の関心と共感能力は一つのピザを切り分けるように、自分のことと社会のこととに振り分けられるかのようである。現実の人間は、もっとはるかに複雑だ。

不幸な混乱をもたらした一囚は、日本のみならずアメリカでも、「個人主義」という言葉にからむ概念にの混同が広く行われていることにある。「個人主義」という言葉を間いた途端、多くの人は、西部劇に出てくる無骨な一匹狼のヒーローを思い浮かべる。本当は人一倍心豊かでさえあるかもしれないが、ともかく、他人とはかたくなに距離をおき、まるで社会性がない、というタイプである。そんな月並みなイメージはナンセンスである。それがいまもってアメリカ人のロマンチックな連想をかきたてているとしても、である。

個人主義とは何か、それをもっとはるかに適切にとらえたのが、今世紀の最も偉大な心理学者の一人、アブラハム・マズローである。マズローは、心理学的に最も自立性が高く、最も個人として完成されていると見なしうる人は、同時に、個人としての自立性が彼らより少ない人よりも、利他的で、民主的で、他者の痛苦に同情的であることを、アメリカでの臨床研究から発見している。

個人主義的な人が、豊かな自己認識を通じて、人格の成熟やバランスのとれた自主性をいかにたっぷりと獲得しているか、マズローは示してくれたわけだ。なるほど個人主義的な人は、周囲の社会が自分にばかげた要求をしていると感じればいらだちを示すだろうが、一般には、彼らこそコミュニティーのことを最も心配している人たちである。これは実際にだれでも確認できる。あなたの周囲にも、十分成熟し、かつ比較的独立心の強い人で、同時に、コミュニティーの一員として思慮深く、親切で、社会の行方を真剣に心配している人を、きっと見つけられるはずだ。

反対に、職場の集団に心理学的に強く結びついている人は、同時に、集団の外の世界に対しては利己的に振る舞いがちであることも、しばしば観察される。彼らにおいては、絶対服従をよしとする彼らの感覚が、心理学的な成熟を阻害している。エーリッヒ・フロムは「集団ナルシシズム」について弁じ、これは、実人生での真の満足感の不足を、ちょうど補うような形で発生する、と論じた。

アーサー・ケスラーは、二十世紀半ばの最も独創的な思想家の一人で、この時代の政治的疾患をおそらく他のだれよりもよく理解していたと思うが、その彼が下した有名な結論はこうだ。「人類の邪悪な所業は、個人の原始的な攻撃性から生じるのではなく、個人が、低い知性と高い情動性を共通分母とする集団と、自己超越的に一体化することから生じる」日本の多くの心理学者も、「集団エゴイズム」という名で同様のことを唱えている。日々の経験から紡ぎ出された、臨床心理学や政治哲学のこうした知識の数々は、日本の多くの評論家が考えそうなことと、まるで別世界のことのように違う。

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