日本的「察し」の文化と、
欧米的「自己主張」の文化

---------------------------------------------------------------
宮本政於『在日日本人』より

私の知り合いで、A子さんという日本人女性がいた。彼女はとても世話好きで、人付き合いもよい。アメリカ人の友人も結構できた。女性たちは気軽にお互いの家に集まりおしゃべりをする。ある日、次はA子さんの家に集まりましょう、ということになった。いつもはコーヒーとケーキだけなのだが、A子さんのところに集まるのは初めてとのこともあって、彼女は軽食のしたくまでした。ところが集まった女性たちは「夕食の時間が近いから」とか「ダイエット中だから」とか言って、せっかくA子さんが作った料理を軽く口に運ぶぐらいであった。

アメリカ人の友達が帰った後、A子さんは、「アメリカ人は相手の気持ちをわかろうとしない。あんな人たちと交際するのは嫌だ」と私に愚痴をこぼした。初めてみんなが来てくれることもあって、一生懸命料理を作ったのだそうだ。彼女はみんながその気持ちを察してくれ、出された物を食べてくれる、そう期待したのだ。「理由はいろいろあるかもしれないけれど、一生懸命作ってくれた料理であったら、相手の気持ちを察して食べてもいいのではないですか」と不満を言ったA子さんに私は、「前もって食事を作りたいが、と言ってその反応を見て作るべきだったのでしょう。アメリカ人相手に、そこまで意気込みを察してくれと期待するのは、どうですかね。期待はずれに終わってしまうほうが多いでしょう」と諭したのだった。

A子さんは、″察して″もらえなかったことで「みんなから拒絶された」と思い込み、結果的に傷ついてしまったのだ。アメリカ人女性たちは、用意してあった軽食を食べなかったことが、A子さんを傷つけてしまった、などとは考えてもいなかっただろう。

甘え—これこそが日本的コミュニケーション

それでは、私がアメリカに初めて行ったときはどうだったかというと、やはり日本的コミュニケーションで育ったこともあり、アメリカでの対応に苦労した。ただ、知らないことはすぐ人に聞くという性格と、精神分析の知識を借りることができたこともあり、アメリカ社会への同化は意外にスムーズに進んだ。だが、おもしろいことに、英会話に不自由しなくなり、アメリカ人の友人ができてくる段階になって私自身の"甘え"の対応とアメリカ社会での"甘え"のない対応、このギャップに苦しめられるようになったのだ。これは、私だけに限ったことではなく、人間の心理には不思議な部分があり、ある程度心を許すようになると、「ここは外国だぞ」と頭の中では理解していても、慣れ親しんでいた"甘え"の人間関係を知らないうちにアメリカ人の友人たちに求めるようになる。

ところが"甘え"の対応は日本独特なものだから、アメリカ人の友人は当然、それを理解しない。初めのうちは私も"甘え"の対応を期待している、とはっきりとは言えない。そうなると、「僕の気持ちを察していない」「これだけ相手の気持ちを察してあげているのに」と怒りとか恨みが出てきてしまう自分に気がついた。だが、精神分析を専攻したこともあり、こうした自分の感情を客観的に判断し、「"甘え"の対応の中で育ってこなかった友人に"甘え"を期待する私のほうがおかしい。それより、ここはアメリカだ。もっと自分の意見をはっきり述べることによって意思の疎通をはかろう」と考えて、納得するようになった。

さて、帰国してわかったのだが、いったん意見をはっきり述べることによってコミュニケーションをするようになると、"甘え"と表裏一体である「察する」という対応をもう一度、私の中に蘇らせることが至難の業であることに気がついた。そうした体験の一つを紹介しよう。ある日、久しぶりに友人四人と会った。そこで夕飯をどこにしようか、そういう話になった。まず最初にT氏が、こう口火を切った。「宮本さん、中華料理なんて食べたくないよね」 中華料理を食べる気分でなかった私は、「ああ、食べたくない。和食はどう?」と提案した。ところが、彼はあまり乗り気を見せない。他の二人はどうかというと、「われわれはなんでもいいよ」と言う。

結局、ホテルのロビーに集まって二十分ほど、何を食べるか議論するのだが一向に決まらない。そこで、私はフッと、「ひょっとして、T氏は中華料理を食べたかったのではなかったか。でも、『嫌だ』と拒絶されることを嫌い、『食べたくないよね』という否定形で会話を進めたのかもしれない」と思った。そこで、「ちょっと考え直したのだが、中華料理も悪くないかもしれないね」と言ってみた。ピンポンである。五秒以内に、「中華料理、いいね」というT氏の回答を引き出したのだ。これだけでもちょっと驚いた私だったが、中華料理店に行って、これまた驚きなのだ。T氏はすでに四人の予約を入れてあり、料理まで決まっていたのだ。彼は、何食わぬ顔をして、「ここの料理はとてもおいしい。今日はシェフに、とくにおいしいものを出すように頼んでおいたから、期待してもらっていい」とまで言う。

それだったら、初めから、「僕はおいしい中華料理店を知っている。しかもシェフと友達だから、彼のおまかせでおいしいものが食べられるように、セットした。だからみんなでそこに行こう」と、こう最初に言ってくれれば、「それなら、是非そこで食べましょう」といういう結論になり、なにも二十分もホテルのロビーで時間を無駄になどすることはなかったのだ。アメリカ社会での生活が長くなり、相手の気持ちを「察する」というテクニックが錆び付いてしまったため、起こった喜劇いやうっかりすると悲劇につながりかねないエピソードでもあったのだ。

TOP [ニート・ひきこもり・不登校(登校拒否)の原因と親]

inserted by FC2 system