「自分がいないと組織はもたない」は錯覚だ

---------------------------------------------------------------
宮本政於『在日日本人』より

「自分は組織にとって大切な存在」という認識は錯覚だ

役所で仕事をしていて、「自分がいなくなると仕事がストップしてしまい、組織が動かなくなってしまう。だから休みもおちおち取れないんだよな」と言っている人たちに接したことがあった。これを聞いていて、私はびっくりした。組織論をちょっと勉強すればすぐわかることなのだが、人が二人や二人、二、三週間いなくても組織は影響を受けない。組織が巨大な船だと思ってみよう。いったん推進力がつけばそう簡単に止まらないのだ。組織が大きくなればなるほど簡単にスピードは落ちない。だから、自分がいないと組織がもたないと思うのは錯覚にしかすぎない。

しかし、組織にどっぷり浸かってしまった人たちにとって、自分は組織にとってたいして重要な存在ではない、そういう事実がわかることは、集団から外れてしまいひとりぼっちになってしまうのではないかという不安を引き起こす。すなわち組織からはじかれてしまうのではないかという恐怖心の裏返しが「自分がいないと組織はもたない」という錯覚に浸る原因ともなるのである。

「見せる快感」と「見られる快感」

この「自分こそ世界の中心だ」という、自己愛の裏返しが「自分がいないと組織はもたない」という発想でもあるのだ。マゾヒズムとナルシズムは表と裏の関係でもある。だからマソヒズム的心理の、「自分がいないと組織はもたない」という自己暗示がかかると、無意識に自己愛の部分も同時に刺激される。「自分がいないと組織はもたない」と思い込めば込むほど、自分を愛することにもなる。自分を愛することは快感でもある。「△△さんしかこの件はわからない」とか、「○○さんの仕事だから」と職域分担があいまいなことを逆手にとって、なんでもかんでも自分で抱え込んで、能率悪く進めていれば、仕事はどんどん増えていく。でも、増えれば増えるほど快感は増加する。マゾヒスト的な日常生活が、意外と簡単に組織社会で受け入れられてしまうのも、こうした快感というご褒美があるからだ。結果として自分を打てば打つほど、自分を愛する部分が膨らんでしまい、どんどんのめり込むことになる。自己犠牲を強いられ、人間性が無視されたムラ社仝だとわかっていても、ムラ社会が崩壊しないのは、このような心理を上手にくすぐる方法に会社や役所は長けているからなのだ。

だが、ムラ社会が存続し続けられる理由はこれだけではない。もう一つある。それは、みんなから見られていることに快感を感じるという人間の心理をうまく利用していることだ。会社人間が会社人間としての評価を得るには、自分の生活を会社のために犠牲にしているところを周りに見せることが大切であることはこれまでも述べた。裏を返せばみんなから、その自己犠牲ぶりを見られていることでもある。この見られているということが大切なのである。日本では自分を見せるという行為は評価されない。だから会社人間も自分を見せたいという願望をあからさまに表すことができない。だが、楽しんでいるところを見せるのはいけないが、苦しんでいるところを見せるのをよしとする。

ここで「自分がいないと組織はもたない」という錯覚の出番となる。この錯覚は日本人をいとも簡単に、打たれることが喜びで、しかもそれを他人に見せることによって、恍惚の世界に浸ってしまうという、倒錯の世界に送り込む。そこで組織人間はお互いの倒錯度を比べ合うことになる。「いやあ、ゆうべは結局終電さ」などという会話に、その倒錯度が表れる。「昨日は、結婚記念日だったから、早退した」と言う同僚に、私はまだ日本では会ったことがないのだが、これも倒錯に陥り、その快感から出ることができなくなったために起こる事態なのだ。

TOP [ニート・ひきこもり・不登校(登校拒否)の原因と親]

inserted by FC2 system