過労死する社畜

---------------------------------------------------------------
宮本政於『在日日本人』より

過労死は滅私奉公が与える勲章だ

そもそも仕事はストレスを生む。つまり、ごく普通に仕事をしているだけでもストレスはかかっているのだ。それなのに、組織人間として一人前に扱ってもらうために、仕事がないのに仕事を作り、その結果、仕事量を雪だるま式に増やす。当然、比例してストレスも増大する。過労死が注目されているが、その根元は日本的マゾヒズムを礼賛する価値観が原因だ。自分が会社にとってかけがえのない人物だという錯覚に浸り、"滅私奉公"を当たり前とする社会環境では過労死は決してなくならない。

自分を痛めつける行為が快感につながる、これがマソヒズムの原点であるが、その究極は江戸時代までは当然の行為として存在していた切腹だろう。そもそも人を前にして自分を殺す、こういった行為ができるということは、狂気の世界に足を踏み入れたことでもある。切腹が社会全体で容認され、しかも美意識にまで高められた。これだけの倒錯に浸ることができた社会は日本だけだろう。だが、こうした美学は自慢できるものではない。なぜなら、切腹という自殺の伝統は"一億玉砕"に代表される思想への変遷を遂げ、狂気の集団を形成するからだ。いやそれは過去の話だと言う人がいるかもしれないが、事実は二十一世紀を目前にして切腹の美学は依然として勢力を誇っている。切腹の代わりに過労死がとって代わっただけなのだ。

過労死は世界各国が日本に特異な現象として注目している。だが「過労死するまで仕事をしている。なんて勤勉な日本人だろう。尊敬してしまう」と思われていると思ったら大間違いである。「日本人は自分の生活も省みず、家族よりも会社のほうが大切だなどというアホくさい価値観に縛られている」とバカにされているのが現実なのである。

戦前は"忍ぶ"とか"耐える"などマゾヒズムを美化した考え方が浸遂したおかげで"特攻隊"とか"人間魚雷"など人間性を無視した発想が日本社会を風びした。その結果日本的国家主義は瓦解したのである。ところが、驚くなかれ、半世紀たった現在でも組織社会には同様の価値観がまだ生き残っているのだ。どう考えてもきつい仕事環境が招いたとしか思えない突然死とか過労死のケースで、家族が労災を申請してもほとんど認定されない。家族は路頭に迷うのだが組織はそんなことは知らん顔である。これを組織が個人を大切にしない証拠と見ないのであれば、いったいどう考えたらよいのだろう。

"滅私奉公″で賛美される美学は倒錯の心理である。人生選択の自由があるのだから一部の人たちがこの倒錯した世界に浸るのは一向に差し支えない。だが組織の拡大と存続が目的で、国民全員が倒錯の価値観を押しつけられるのであればこれはたたかう以外にない。突然死とか過労死をなくすのは簡単である。日本的集団主義から脱却し人間を中心とした生活が楽しめるように行動を開始すればよいのだから。

---------------------------------------------------------------
佐高信×宮本政於『官僚に告ぐ!』より

宮本 国家のために尽くしたというふれこみで、外務次官を取り上げた記事を読んだことがあります。彼は肝臓がんに侵されながら、肝臓に注射を打ってまでして外交交渉に臨み、そこで亡くなりました。これは美談に仕立てあげられていました。「私は体にむちうって、死ぬまで仕事をした」というのは、ある人たちにとって感動を呼ぶ話かもしれませんが、そこに「みんなも同じようにすべきだ」というメッセージが含まれているのであれば、これは怖いことだと思います。自らそういう人生を選ぶのなら構わないですけどね。

佐高 そういう生き方そのものの全否定はしないのね。

宮本 しません。その人が自分の人生でどんな選択をしようと、僕はどうこう言うつもりは全くありません。ところが日本社会は、「滅私」の人生を送った人を周りが勝手に美談にして「期待される人間像」に置きかえてしまう部分があります。マスコミも一緒になってこのマインドコンロールに加担しています。こうした部分に反対しているわけです。

TOP [ニート・ひきこもり・不登校(登校拒否)の原因と親]

inserted by FC2 system