個性を認めない社畜

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宮本政於『在日日本人』より

食生活の自己管理もできない仕事人間

役所に限らず、日本の社会全体に言える現象と考えてよいのだが、自分の健康を維持することがとても難しい。だれでも病気にかかりたくない。しかし病気にかからないようにするのは簡単である。日ごろから、健康に気を配ればよいのだ。睡眠を十分に取る、バランスの取れた食生活ができるように気をつける、適度な運動をする。これらのことに注意を払うと、風邪もひかないようになる。抵抗力が強くなるからだ。風邪は万病の元と言われる。しかし抵抗力さえつけておけば他の病気にもかからなくてすむ。こんな簡単な配慮をすることで、かなりの病気を予防できるわけだ。

ところがこの簡単なことができないのが日本社会の現実である。まず食生活を例に取って考えたい。糖尿病、狭心症、心筋梗塞、痛風、脂肪肝など成人病と呼ばれる疾患群は日々の食生活の管理を行うことによりかなりの予防効果が期待できる。とくに成人病を患っている人たちにとっては、その重要性は切実だ。信じられない話なのだが、日本社会は周りに対して気やすく「健康管理が大切だから私はみなさんと違う食事をしたい」などと言うわけにいかない。うっかりそんなことを言おうものならば「わがままだ」との批判を招きかねないからだ。

宴会を例に取ってみよう。厚生省の親しい上司で準管理職の立場に就いている人がいる。彼は糖尿病を患って三年ほどになる。仲間だけで集まると、病気がかなり毎日の生活に負担を強いていることを話したりする。だが仕事上では接待が多いにもかかわらず、自分は糖尿病を患っているから、食事の管理が大切であるということを招待者には言わない。

またまたアメリカを例に出して恐縮だが、アメリカでは、病気を患っていなくとも「私は菜食主義だ」「宗教上の理由により、食べられない」などと個人の希望をリクエストしてくる。周囲もそれを当然として扱う。旅行をしてみるとその違いがなおさらわかる。飛行機に来ると、「ローカロリー」「減塩」「シーフード」「グルテンフリー」「低脂肪」「低コレステロール」「高繊維」「ベジテリアン」「乳製品抜き」「糖尿病食」「こしょう、砂糖抜き」など、アレルギーや、健康上の理由からこれだけの選択肢を与えられる。そのうえ「コーシャー料理(ユダヤ教を信じる人たちが食べる料理で豚とか貝類を含まない)」や「ヒンズー料理(牛肉抜き)」「モスレム料理(豚肉が禁止)」など宗教上の理由に基づいた食事もできるようになっている。一歩日本を出ると「みんなが食べているからオマエも同じものを食べるのが当たり前」などの無粋なことは決して言われないのである。

アメリカで友人を招いてパーティーを開いたことがあったが、そのうち何人かは病気でもないのに低コレステロールの料理にしてくれとか化学調味料は入れないでくれなどかなり細かい注文がついたことを覚えている。ただ私も食事には気を配るほうなので、「心配するな。化学調味料などわざわざ料理の冴えを奪い取るようなものを入れるわけがない。脂肪とかコレステロールの取り過ぎには神経を使っていますよ」と答えたことを覚えている。日本だったらこのようなリクエストはまずないだろう。

「同じもので結構です」

厚生省の上司に話を戻そう。私はあるとき、「どうして糖尿病ダイエットにしてくれと言わないのですか」と聞いたことがある。彼の返事は、「相手に迷惑がかかる」であった。そこで、「そうは言っても補佐の身体でしょう。血糖値がいつも高いと寿命が短くなりますよ。やはり家族のことも考えたらダイエットは大切だと思うのですが」と言うと、「でもね、日本には微妙な感情のやりとりがあるのですよ。だから私だけ特別にしてくれとはとても言えません。役所に迷惑がかかる」と答えるのだった。私は彼の説明を間いていて、組織に属している者はこんなに相手に気を配らなければならないのかと、同情してしまった。だが、「病気を特っているので、私の食事だけは特別食にしてほしい」と要望することは、ちっともおかしいことではない。そもそも、そう言ったところで相手は迷惑だとは思わないと思う。

そこでどうして組織社会に属する人たちが、自分が病気であることを隠してまで相手に気を配るのかを考えてみた。その結論は日本の組織体は「特別扱いをしなければならない」人間を好まない、ということだ。これは、自分が特別扱いしてもらいたい、自分は特別だという深層心理の裏返しでもある。人間はだれでも心の奥にはこのような感情がある。こうした自分は特別だという深層心理、これを社会を構築するための価値観として上手に取り入れたのが、個性を重視する民主主義なのだ。個性を育てるということは、その人間がどこか他の人と異なっているのを認めることでもある。すなわち「自分が他人と違い特別なものを特っている」ことを認めることでもある。深層心理に素直な価値観なのだ。

ところが、日本社会では異常と思えるほど、個性を認めようとしない。人間の基本に存在しているものを認めようとしないのだから、深層心理を逆なでする不自然な価値観だと考えてよい。

結果は世界に例を見ない、倒錯した平等主義の中で生活をすることになってしまっている。「健康を維持するためには特別な食事が必要なのです」という、本来言うべきことを言えなかった上司の対応を分析してみると、「オレは特別であることをこんなに一生懸命否定しているのに、あいつは特別扱いしてくれと言っている。けしからん奴だ」という対応が役所の人間から出てくるのを避けるためのようだ。妬みに火がつかないようにしていることが第一点。

もう一つは、出世の梯子をはずされることが怖いという部分がある。組織体とは不思議な存在で、病気を持っている人間にとても親身になってくれるような対応をする。だが、それはポーズにしかすぎない。実態は組織の維持が優先し、その人間がダメになったときのことをいち早く考えている。私は、そうした対応が、いけないと言うつもりはない。そもそも、組織とはそういう対応をするものだ。だから、初めから本当のことを素直に言えば、私も目くじらをたてるつもりはない。ところが、冷酷な存在であるという事実を隠して、いかにも人間味あふれる存在だということをアピールしようとする。こうした偽善者ぶった対応をけしからんと思うのは、私だけだろうか。

このように、組織に属し、組織の二面性を知れば知るほど、中にいる人間は、自分が病気を待っているとか障害があるなどとは言えなくなる。なにしろ、組織にマイナスになるようなことを、うっかり表に出すものならば、左遷とまではいかなくとも、出世の階段を上れなくなることは確実であるからだ。

以前ある部署で起こった話なのだが、部下の一人がストレスのため精神的にまいってしまった。森田療法など心理療法を受け元気になったのだが、その間半年ほど休職した。ところが時間管理をしている課では、本当に仕事ができないのか、どうして自宅にいなければならないのか、と根掘り葉掘り休んでいる理由を聞いている。あげくのはてには「あいつはさぼっているのではないか」などの陰口まで言う。診断書一枚あれば十分であるはずなのだが、疑いの眼で見られているのではいつまでたってもストレスなど解消しない。病気になることが集団組織ではいかにネガティブに取られているかを示したよい例である。

病気でも病気と言えない異常集団

それでは、「終身雇用の安心感がほしいのなら、"滅私奉公"を忘れるな。でも組織が迷惑を被るような不健康体になってはこまる」という日本的集団社会のダブルメッセージは勤め人の身体にどんな影響を与えるのだろうか。当然であるが、このメッセージは組織に属する人たちにとってはストレスとなる。なにしろ本音は「組織に貢献すればするほど健康は損なわれる。そして健康が損なわれた歯車は組織から捨てられる運命にある」にあるのだが、組織は建前論を上手に使い、「組織に貢献する個人であればいつまでも面倒を見る」というように組織を構成する人たちに説明する。しかも建前という錯覚を信じることが大人であるという教育を受けているから、だれも本音の部分には触れようとしない。

前述したこの役所の上司は、自分の健康の大切さを組織に対しては決して言わない。なぜなら「健康に問題がある」ということは切り捨てられる運命にあることを知っているからだ。だから彼はみんなと同じ物を食べることによって病気を持っていることを隠そうとしたのだ。もちろん周りは彼が糖尿病を患っているのを知っている。ここが日本的集団社会の不思議なところで、健康が損なわれていても「本人が健康です」と建前を唱えていると。「あいつは病気であることを隠してまで、組織のために貢献している。見上げたやつだ」とお誉めの言葉を貰え、勤務評定にもプラスの結果として反映する。もちろん同僚たちは、この上司の健康を心配した。そして過労で重圧がかからないように気を配る。でも、組織という集団で生活をするとわかるのだが、思いやりにも限度がある。なにしろ組織の維持と拡大のほうが、個人の健康よりウエートが大きいからだ。だから、周りも同情ばかりしていられず、彼も「そんなに甘えていられません」となり、結局ぎりぎりのところまで自分の体を酷使せざるを得なくなる。

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宮本政於『お役所の掟』より

「横並び」の発想

厚生省に就職して間もないころ、私は同僚・先輩たちとともに元大臣と会食する機会があり、フランス料理に招待された。私は自分の好みの料理を注文したのだが、私以外は全員が元大臣と同じメニューを頼んだようで、私の前にだけ、みんなと異なった料理が出てきた。それは、ちょっと異様な雰囲気をかもし出したようで、元大臣こそなにも言わなかったが、みんなは「宮本さんの料理はおいしそうだね」とか、「その料理はなんですか」とか言ってきた。嫌みとわかっていたが、気にしないで「ぼくは兎が大好きなんですよ」と答えたときの彼らの困惑した表情は、とても印象的であった。

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