「いじめ」が始まった、
社畜ムラの村八分

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宮本政於『お役所の掟』より

「宮本なんかとつきあうな」

「月刊Asahi」に第一弾、第二弾を投稿した当時の、ある昼下がり、知りあいの課長から電話が入る。「おい、Aが『なんで宮本とつきあいがあるのか』と聞いてきたぞ。俺はお前を評価しているからつきあっていると言ったが、暗に、お前とつきあうなとの圧力がかかっていると見るべきだな」私の同期も昼飯を食べながら、「僕は気にしないが、無言の圧力がかかってきているから、お前とつきあいづらくなったと言っているやつもいるぞ」と本省(厚生省)での動きを教えてくれる。こんな忠告をしてくれた幹部もいた。「役人は気の小さいのが多いのだ。自分の保身が第一だから、君が役人をしている限り、友人は増えないぞ。でも内心では評価しているのもけっこう多い。よくあれだけ本音を書いてくれたと喜んでいる奴がいるのも事実だ。だから早く役所などやめてしまえ、そうすればもっと友人が増えるぞ。そのほうが君のためだ」

なんのことはない、小学校のとき、ボス的存在の子が、「〇〇ちゃんと遊んじゃ駄目」とクラスの弱い子をいじめることと、たいして変わりがないではないか。暗に「つきあうな」と言って圧力をかけてくるのは、形を変えた「いじめ」ではないか。大人の世界でも「いじめ」は厳然として存在するわけだ。

当然、ある程度の反応があることは覚悟をしていたが、ここまでとは驚きだった。私は個人攻撃はしていない。ただ、現状の官僚組織の問題点を、私の体験を基に、率直に述べただけで、これから日本が国際社会でリーダーシップを取るためには、これではいけない、との意識があったからこそ投稿したのだ。ところが、私の真意はまったくくみ取られず、組織の調和を乱した、という部分にだけ焦点があてられ、感情論へと発展していっている。その結果、組織ぐるみの「いじめ」へと発展しているのだ。

入省早々、「いじめ」で不眠症に

私に対するいじめは今回が初めてではない。一九八六年に課長補佐として入省したのだが、そのとき、私は「いじめ」で迎えられたのであった。厚生省に入省する一一年前、アメリカに渡りまったく知らない環境に順応するために要した最初の一年を思い返しても、「いじめ」で迎えられたことはなかったし、「いじめ」にその後、あったこともなかった。だが、厚生省という機関で「人間学を基本とした医療・福祉」という大きなテ—マを扱えることを楽しみに帰った祖国で、こんな思いをしようとは。それだけにショックも大きかった。

「いじめ」は不眠症というプレゼントをしてくれた。入省一年目、私が受けた「いじめ」の実例を挙げて紹介しよう。厚生本省では、残業が本来の勤務時間とみなされていることもあり、総務係長は、課のすくない予算の中から課員に夕飯を食べさせる。ある日、どんぶりものが届けられた。温かいうちに食べないと味が落ちてしまうと思い、仕事を中断して食べだした。仕事半ばで食べはじめた課員はほかにもいた。ところがボス然としていた人間が、私だけに名指しでこう言うではないか。「宮本さん、仕事がまだ残っているじやないか。食事なんか、よくしていられるね。区切りがついてから食べたらどうだい。だいたい、仕事の内容すらまだつかめていない新人が、みんなと一緒に食事ができると思うなんて非常識だ」日本にまだ慣れていない私は、びっくりして仕事に戻ったものである。

役所では課というミ二組織を運営する権限を与えられた人が必ず存在している。係長のポストではあるが実務経験が豊富で、若手の補佐などよりはるかに役所の裏表を知っている。在籍年数が幅をきかす官僚組織、係長といってもかれらは隠然とした影響力を行使する。省内では、場合によっては課長より影響力があるぐらいだ。ボス面をするのもわからないでもない。それだけの資質があるのだからボス面をすることに異議を唱えるわけではない。ただ、なかには私が経験したように、入省一年目の補佐などに徹底してバカにしてかかってくるような、意地の悪い人がいることも事実なのだ。どういうわけか私のような外国帰りには、妬みがでるらしい。執拗にいじめてくる。

ある日、そのボス然とした係長が、「宮本さん、あんたはラッキーだ。役所に入ったとたんに課長補佐。給料だって我々より多くもらっている。メンタルヘルスの専門家だなんてあまり調子に乗らないほうがいいよ」と言ってきたことがある。あとから考えてわかったのだが、このとき、私は誤った対応をしてしまったのだ。どこを誤ったかというと、「Mさん、でも私がアメリカでかせいでいた給料は、いまもらっている一〇倍は楽にあったのです。だから耐貧生活の毎日なのですよ」と彼に言った部分にある。この言い方がM係長をいたく刺激してしまったのだ。それ以後、彼は役所の人間が集まる機会があると、「宮本補佐はアメリカでは優雅な生活だったらしいよ。見てごらん彼の持ちものを。なにしろセンスがいいよ。俺たちなんて金がないからとても宮本補佐のレベルには達することができない。金持ちだった人はいいよな」と妬み丸出しの嫌みを言ってくるのだ。

知らないこともきけない雰囲気

新しい環境では、知らないことがたくさんある。ある日、自治省に書類を持って行ってくれとたのまれた。そもそも米国の大学で教鞭をとり、メンタルヘルスではスペシャリストと自負していた私。だからこそ中途採用をしたはずなのに、それがカンに触るらしい。その結果、与えられるのは使い走りとかコピ—取りなど、専門分野とはかけ離れた仕事ばかり。たしかに下積み経験もないまま魅力あるポストに落下傘降下した私に対して、やっかみが出るのもわかるが、いじめられる側としてはたまったものではない。

ここは我慢のしどころと思ったが、なにしろ一一年間も日本を留守にしていた私だ。目と鼻の先にある自治省の場所がわからない。そこで、「自治省はどこにありますか」と聞いた。すると、このボス然とした男が大きな声で、隣の課に聞こえるように、「宮本さんは外国帰りでなにも知らない。ほんとうに迷惑ばっかりかける」まわりは、それを聞いてどっと笑う。意地悪で有名な彼のしっぺ返しを恐れてか、だれも自治省の場所を教えてくれないのだ。なんという意気地なしな集団だと腹が立ったが、それならそれで自分で調べようと、番号案内に電話を入れた。すると今度は、「なんで、電話番号など必要なんだ」と文句を言う。「自治省に電話をして、場所を教えてもらうのですよ」と言うと、今度は、「そんなことで、電話を使うな」と、意地悪に拍車をかけてくる。途中、課に戻ってきた当時の課長は、見るに見かねて、私を自分のデスクに手招きしてくれた。「まあ、君もすぐ覚える。役所というのはこんなところだ、しばらくすれば、だれもいじめなくなる」と慰めながら自治省の場所を教えてくれた。私はいまでもこの課長の優しさには感謝している。

厚生省に入りたてのころ、会議が開かれた。その中で、「日医」という言葉が頻繁に使われた。どうやらこれはどこかの団体の名称を短縮したものだ、まではわかったのだが、意味はよくわからない。ところがこの言葉が会議のキーワードで、知っていないと話についていけない。わからないことは躊躇せず聞くべき、との考えを持っている私、「日医ってなんですか」と聞いた。ところが、驚いたことに、みんな冷たい目で私のことを見る。「くだらないことを聞くな。せっかくの会議の進行に水をさす」との意向がありありとでている。結局、会議が終ってから親切なある係長が、「宮本補佐、『日医』は日本医師会の略称なんですよ」と教えてくれた。だが、そのときのみんなの反応に驚いてしまい、萎縮してしまった私、それ以後、知らない言葉が出てきても、みんなの前では聞かないようになってしまった。

だが、同僚のこの対応、私が一一年間いたアメリカとはこうも違うものかと考えさせられた。私が住んでいたアメリカでは、知らないことはていねいに教えてくれる。日本に帰ってからの「みんなが知っているのだから、お前も知っているべきだ」「知らないお前が悪いのだ」という対応にはびっくりしたが、よくよく考えてみれば、知らないのは当たり前、それを馬鹿にするほうがおかしいのである。そこであるときから、「知らなくて当たり前、文句を言うお前たちのほうが非常識」と対応を変えるようにした。この対応が驚くなかれ、「いじめ」から逃れる最良の手段であることを発見したのだった。

「みんなと違うことはいけないこと」

役所では毎朝、お茶くみをかねた女性秘書が全員にお茶を入れてくれる。私が多少遅れて登庁したある日のこと、彼女がいつもどおり私にお茶を運んできたところ、くだんのどんぶり男、全員に聞こえるような大きな声で、「おい、宮本さんにお茶など持っていくな」と言うではないか。このときばかりは、開いた口がふさがらなかった。出勤時間に遅れたら、お茶は出さないとの規則はむろんなく、他の課員たちは遅く来たからといって、そんなことを言われているのを聞いたことがない。

よくよく観察していると「お茶を出すな」と言われているのは、私だけでないことに気がついた。もうひとり、同じように、いびられている人がいたのだ。彼も課では新参者。それに加えて他の役所人間とはひと味違っている。まず服装がしゃれている。ネクタイもエレガントなものを上手に着こなす。私と違って一応はみんなと話を合わせているが、泥臭さがないものだから、結局浮いてしまう。会話の内容もなかなかウィットにとみ、文化レベルの高さがにじみ出てくる。そして要領よく、マイぺースで仕事ができる魅力のある人なのだ。ところが、このようにみんなと違いがあると、外国帰りでなくとも「いじめ」のタ—ゲットになる。「みんなと違うことはいけないこと」との不文律が役所には存在するのだ。

御用達マゾヒストたち

彼に対する「いじめ」を見ていて、「いじめ」にはもうひとつの側面があることに気がついた。私もそうだが、彼の人生観には、遊び心がある。それを生活の各所にちりばめ人生を過ごしたいと、考えているのだ。楽しいことを、まわりの目を気にせず行える性格は、見方を変えれば「日本株式会社御用達」のマゾヒストではないことでもある。日本的集団にどっぷり浸かった人々は、こういった人生観を見ると腹立たしく思うらしい。マゾヒストの傾向を取らない人に対して、集団は「いじめ」を用い、その人間を自分たちと同じマゾヒストに仕立てあげようとする。

それに加え、「いじめ」という行為は、属している集団・組織が、新人がどれだけマゾヒスト的傾向を持ちあわせているかをテストする側面もある。なぜ、このような結論かというと、もしも集団の一員が「いじめ」は好ましからざる行為と考えていれば、どこかで止めに入るはずである。ところが、陰で同情を示してくれる者はいるものの、表だって「いじめ」を止めに入った人間はひとりもい
ない。「この陰湿な行為はやめるべき」との非難の声もあがってこない。ということは、内心どこかで「いじめ」をサポ—ト(支持)しているとしか言えないのだ。「いじめ」を耐え抜いて初めて集団の一員となれる、というわけだ。わが身にできる限り鞭を打たせ、その苦しみに耐えていることを集団に示せば「日本株式会社御用達」のお墨付きをいただけることになる。

高校野球がはじまると仕事そっちのけで役人はテレビにかじりついている。なぜ、これだけ熱中するのか、それは高校生たちが甲子園に出るために血の滲出するような努力をし、マゾヒストとしての限界に挑戦している、その精神に共感を覚えているのだろう。だから組織に入った新入生が、どれだけのマゾヒスト的許容量を持ちあわせているのかを知ることは、集団にとってはとても重要なのだ。

さて、私が入省してまもないころ、法律改正業務に携わった。徹夜の連続のため、法案提出最終日ともなると、課員ほとんどが睡眠不足だ。みんな手の空いたときに仮眠をとる。夜も明けようかという時刻になった。作業は最終段階のコピ—作成・製本作業に入り、私もやれやれ一段落と思い、一時間ほどの仮眠をとった。ところが課にもどると、これまた課の運営を任された主任が、「この忙しいのに寝ているなんて、なんて自分勝手なのだ」と罵倒するではないか。「みんな、手の空いたときには仮眠しているではないですか。なんで僕だけ文句を言われるのですか」と言い返したかったが、まだ役所での対応にとまどっている時期でもあり、くやしいが、思わず、「どうもすみません」とあやまってしまった。しかし、いったん弱みを見せると「いじめ」は激しさを増す。

できあがった資料に目を通そうと思い、一部ほしいと言うと、後ろから、「宮本補佐は余裕たっぷりだ、自分で探させろ」と主任の大きな声が飛んでくる。図体がでかいから、それだけ声にもすごみが加わる。しかたなく自分で膨大な資料を眠い目をこすりながら、すごすごと集めた。

この経験を経て、新入社員は、能力とは関係なく、みんなの手となり足となり、いかに体を酷使しているかを全員に見せることによって、初めて一人前であるとの扱いを受けることに気がついた。これまた、マゾヒストの限界をみんなに示す行為なのである。マゾヒストの度合いが、みんなと同じであるかそれ以上であると集団が認知すると、晴れて「日本株式会社御用達」のお墨付きをもらえるのである。

自分に鞭を打つ苦しみが、快楽に変わってきている、ということを集団が認知すると、初めて「いじめ」はなくなるのだ。だから、役所に入ってまず第一にするべき行為は、いかに仕事ができ能力があるかを知らしめるのではなく、マゾヒストであることをみんなに知らしめることで、そのほうがはるかに大切なのである。私はこのとき、つくづく、官僚社会はなんと不可思議な価値観を大切にするところなのだろうと思った。また今後、いくら上司とはいえ、私にマゾヒストたれ、と官僚の価値観を強いてきたときは、断固拒絶する姿勢を貫くことを心に誓った。

他人の七転八倒を楽しんで

この自分に対する誓いはいまでも守っている。ひとつその例を紹介しよう。私は防衛庁に出向したとき、そこの総務担当の補佐から、弁当を買ってきてくれと使い走りを命じられた。私は、そのと
き、「相手をまちがえているのではないですか、私のポストは専門職ですよ。弁当を買いに行けなど、とんでもない」と言うと、その補佐は、「宮本さんは、役所に入ってまだ一年ちょっとだろ。多少の下積みの経験をしないといけない」と自分の命令を正当化してくる。そこで、「私は、役所に雑用をしに入ったのではありません。あなたの考え方と私の考え方は根本が違います。あなたが言っているのは、新幹線の運転手であっても切符切りもする必要があるとの発想ですよね、私の発想はそのような形をとらないのです」と言ったのだ。このコメントが効いたかどうかはわからないが、それ以後二度と雑用を頼まれることはなくなった。

「いじめ」は手を替え品を替え登場する。国会答弁を作成したとき、私が書いた文章をなん度もやり直しをさせるのもそれだ。重箱の隅をつつつくような、枝葉末節的な論議をふっかけてくる。「宮本さんは日本語に弱いから、いい練習だ」などと言って、私が七転八倒しているのを見て喜んでいるのだ。私は彼らが喜んでいたと言いきる自信がある。なぜなら、最後に官房総務課に承認をもらったときのこねまわした最終文書と、私が大して時間をかけずに書いた最初の文書と、それほどの違いがなかったことがけっこうあったからだ。

「うまい英語」は「いじめ」の対象

海外帰国子女を持つお母さんたちと歓談をしたことがある。そのとき私が役所で、「宮本さんの英語は発音がきれいで、聞き取りにくい」と嫌みを言われた話をしたところ、「先生は知らないのですか。帰国子女の子供たちは学校で、いかに下手に英語を話すかに努力をするのですよ」「こんなことは常識ですよ」「上手に話すと『いじめ』の対象になってしまうのですよ」と教えられた。これには驚いた。しかもこの「いじめ」は担任の教師が先頭を切っているという。

帰国子女の「いじめ」は、日本が国際社会に門戸を開放してから発生した現象である。欧米諸国のインターナショナルスクールで教育を受け、日本に帰ってきた子供たちが一様に経験することを例に挙げてみよう。「自分の意見をはっきり言いすぎる」「先生の教えていることに疑問を投げかける」「昼食時間に黙々と食べずに、私語が多い」「協調性に欠ける」などの批判を受ける。集団の論理に従うように、と諭されるのだ。このアドバイスに従わない生徒たちが「いじめ」の対象となる。なんのことはない、私の役所での経験と同じである。

「いじめ」は集団の論理の中に、個人をはめこむための道具と化すのだ。しかもところによっては担任の先生が「いじめ」のリーダー格となるのだから始末が悪い。だが、帰国者への「いじめ」はなにも学生に限らない。大人の社会でも存在している。私の場合がよい例だ。しかし、学校教育の場で子供のうちから「能ある鷹は爪を隠す」ことに心を配らなければならないとは悲しいことだ。しかもそれが常識となっているとはなんという非国際性。国際化に向けての教育が問われている現在、個人の持つ能力を最大限に引き出せる教育ができないのであれば、国際競争での勝負は明らかだ。

この「帰国子女への対応に代表されるいじめ」は日本独特である。日本人として認知されている者が、異文化圏に行き、日本人とは違った臭いをつけて来た場合、その異文化臭を、洗い流させるために、「いじめ」を集団が率先して行うのである。

「うまい英語」がいじめの対象となるという話のついでに書けば、あるときおつきあいと思い、いっしょにカラオケバーに行ったときのことだ。「アメリカ帰りの宮本さん、英語で歌ってください」と、声がかかる。自慢ではないが私は音痴だ。それなのに歌を強要する。嫌がれば嫌がるほど、おもしろがってプレツシャ—をかけてくる。「一曲ぐらい歌えるでしよう。下手でもいいから、宮本補佐、お願いします!」私の目の前に分厚い本が手渡される。なんだ、この本はと思っていると、「この本にはいろいろな曲目が載っています。一曲ぐらい知っているのがあるでしょう」「ほら、宮本さん、日本人離れした発音で一曲披露してください」遠くからも声がかかる。「宮本さんが歌ってくれないと、先に進めない」なかには、親切にハー卜の印のついた歌を示し、この映像はエッチでいいですよ、とわざわざ推薦してくれる。ポルノチックな映像が見たいのなら自分で歌えばいいのに、と思うのだが、なにしろ集団のプレツシャ—はすごい。あまりしつこいので、しかたなく一曲選んでステ—ジに行くと、「アメリカ帰り、しっかり歌え」と野次が飛ぶ。他の人が歌うときには誰も注意せず、お義理の拍手が飛ぶだけなのに、私のときは全員が注目しているのが不思議だった。そんなことを考えている間に、テレビ画面に文字が現れる。あわてて歌うが、追いつかない。音程も高すぎて、とても聞けたしろものではないことが自分でもわかる。見るに見かねた課長が立って、いっしょに歌ってくれてなんとかなった。だが、私にとっては、モスクワはジェルジンスキー広場にあるにKGB (旧ソ連国家保安委員会)本部の地下室で拷問にあっているような思いだった。

「みんなと同じ格好をするように」

「いじめ」は、人の嗜好にまで及ぶ。私は、ファッションにたいへん興味があり、アメリカにいたときは、一時アルバイトにスタイリスト兼ファッションコンサルタントをしたこともあるぐらいだ当然、服装にも凝る。これが役所では目ざわりのようだ。嫌み半分にズボンの太さ、スーツの柄、値段、デザイナ—の名前、ネクタイのメーカー、はては、下着の種類まで詮索してくる。ジーンズにTシャツを着て登庁しているのではないのだから、ほっといてほしいと思う。「私たちと同じような格好をしましょう、イタリアンファッションなど役人には似合いませんよ」と言いたいらしい。

ある日、ある幹部から、「つまらない自己主張をするより、もう少し、みんなと同じような格好をしたらどうか」と、アドバイスをもらった。しかし、つまらない自己主張とはよく言ったものだ。つまらないか、おもしろいかは、個人の主観の問題なのに、集団がつまらないといったん判断すると、全員つまらないと思わなければならないのがこの社会の掟のようだ。こういった官僚たちの集団主義を見ていると、軍国主義体制を敷いていた戦前の日本と、どこが違うのかと思うこともある。服装に対するアドバイスも、カラオケも、これらはみな形を変えた「いじめ」である。

目には目を

しかし、私も役所で過ごす時間が長くなるにつれて、「いじめ」の対処方法を編み出していった。たとえば未明まで及ぶ国会答弁作りの場合は、こんなふうだ。作業はどのみち、夜明けまでかかる。そこで私は、答弁は夜中の 一二時以前には書かないことにした。一二時を回れば誰でも眠くなる。眠くなれば、いじめの精神も衰えるに違いない、という作戦だ。意地の悪い担当者が手ぐすね引いて待っているとき、近くのフランス料理屋に行き、ワインを楽しむことにした。一〇時半ごろ役所に戻り、おもむろに答弁作りをはじめる。ほんのりと赤い顔をして帰ってきた私を見た担当者との会話は、こんなふうに展開していった。
「いったいどこに行っていたのですか。困るではないですか、大事なときに」
「いや、大事な話を上司としていたんだ」
「仕事の話ですか」
「循環器疾患とアルコールの関連性についてだよ」
「だれですか、宮本補佐とそんな話をする上司は」
「君に関係ない人だよ。あまり他人の世界に鼻を突つ込まないほうがいいよ」
「大事な話で、なんで顔が赤いのですか。ビールを飲むなんて不謹慎だ」
「いや、ワインだ。赤ワインは血中コレステロ—ルを下げるとの研究結果が出ているのだよ。そこでひとつ実践するのも大事だと思ったのだ。それにワインを語ることは文化を論ずることに通じる。それに僕が不謹慎なら、局長も大臣もみんな不謹慎だね。彼らもアルコ—ルを飲んでいるよ」
「われわれは国会答弁を作る当事者ですよ。酔っているなんて、とんでもない」
「君も六時ころ、ビールを飲んでいたよね。ところで国会答弁はできているのかい」
「宮本さんですよ、原案を作ることになっているのは」
「そうか、すっかり忘れていた。いまからとりかかるからできるのは、一二時を過ぎるよ。君は家に帰るより、局長室のソファーを寝床とする生活が好きみたいだから、局長室でひと眠りしていていいよ」
「私は、仕事が忙しくて帰る暇がないからソファーで寝るのです。宮本さんみたいに遊んでばかりいませんからね。だいたい、自分のいちばん大切な任務を忘れるなんて、信じられない。職務怠慢です。それに私は法令担当ですからね。宮本さんの文章をチェックする必要があります」
「君が、たびたび局長室をホテル代わりにするのは、いつか自分も局長になりたいという無意識の願望のあらわれなんだよ」
「私は宮本さんに精神分析などたのんでいません」

結局、国会答弁ができあがったのは午前一一時を回ったころ。かの担当者は居眠りをはじめていた。私は彼を横目に、たまたま顔見知りだった官房総務課の補佐のもとに直接答弁を持っていく。つまり、私の課の担当を飛び越してしまったのだ。これはまちがいなくメンツの問題となる。結果は目に見えていたが、いつも意地悪されているのだ、一回ぐらいの仕返しはいい薬になるだろうと、仕向けたのだ。案の定、彼は目を覚まして烈火のごとく怒ったが、後の祭りだった。

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